“バグ”を抱えながら——海底鬼岩城から考える利他

ドラえもんの銅像 Uncategorized

今回はドラえもん『海底鬼岩城』を観ました。

そして、この話って「利他の話じゃないか」と思ったのです。

今回はそのことについて書いてみようと思います。

利他とはどういうことか?

私が思った利他とは、以前読んだ本、『利他・ケア・傷の倫理学 近内悠太』の定義からです。

この本に書かれていた利他を自分なりにまとめると

「利他とは相手を変えようとするのではなく、自己変容によって生まれる行為である。

自分を大切にしているものより、他者に導かれて、その他者の大切にしているものの方を

優先すること。そこには矛盾、不合理を含んでいるものである。」

というものだと思います。

今回の映画のどこが利他なのか?

「不合理に疑問を持つバギー」

機械のバギーは、心を持っていません。だから人間の「不合理な行動」に疑問を持ちます。

ここで「不合理」とは何かを確認すると、

不合理とは、明らかに筋が通っていない、矛盾している状態のことです。

つまり、バギーは人間は説明ができない矛盾をはらんだ行為をしているが、

なぜだと聞いているのですね。

正しいと正解の違いを問うバギー

そしてバギーはのび太さんに問う「正しいと正解は違うのですか?」と。

のび太さんは答える「そうじゃないこともあるかもね。心がそうじゃないと思えば」

ここで、正しいと正解について整理すると、

正しいは、内側から生まれるもので計算できないもの

正解は、外側にある基準で計算できるもの

となると思います。

つまり

正解は、バギーが、外側から与えられた基準、

正しいは、矛盾や揺らぎが生じる、実に人間的なもの

と言えると思います。

それを象徴する、そして、私の心を動かしたの言葉があります。

バギーの言葉で

「正しいと正解は違うのですね、それはまるでバグのようですね」

「バグを持ち合わせるのが人間」

「バグ」

これはバギーにとって、正解から外れるものはそう捉えられてしまう。

しかし、そうした一見ネガティブに捉えられる「バグ」だけれども、

それでも誰かのために動いてしまう。そうした行動が、まさに人間的なものだと感じました。

「当たり前のように優しくしてくれるしずかちゃん」

映画の話の中で、しずかちゃんはバギーに優しくしてくれる。

しずかちゃんからすれば「友達」だから当たり前の感覚で行なっている。

そして、そこには損得や合理性といったもので動いているのではない。

これもある種の「バグ」です。

バギーはそうしたことを体感し学び、変容を遂げる。

利他の定義に戻ってみる

今まで見てきた部分、全て利他な行動なのではないかと思うのです。

バギーが言っていた「バグ」それはまさに利他の定義そのものです。

どうしてそんな矛盾や非合理的な行動を起こすのかと聞かれてもそこには理屈はありません。

ただ相手を大切に思い、自分よりも相手のために行動を起こす

正解ではなく、自分自身を変容させ行動をおこす

心に従って、身体が動いてしまう

この映画はまさに利他の話だったのではないかと思いました。

人間はそうした「バグ」を抱えているからこそ、

愛おしいし、尊いし、心動かされているかもしれません。

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