小さな声と、新しい絶対性ー有限性を忘れずに『現代思想入門 千葉雅也』を読んで

本

今回『現代思想入門 千葉雅也』という本の第7章を読んで、

私はそこに、現代の息苦しさのあり方と、

同時にある種の救いのようなものを感じました。

この章で、重要なキーワードとなるのは

「複数」と「有限性」と思います。

有限性とは

有限性とはどのようなものかというと

本書によると

『謎のXを突き詰めず、生活のなかでタスクがひとつひとつ完了していくというそんなイメージの、

淡々とした有限性です。主体とはまず行動の主体なのであって、アイデンティティに悩むものではない

のです。 p210』

とあります。

人間は、何かしらの影響を受けながらも、有限性を持った行動の主体である。

そして、本質、真理や真実といった大きな謎を完全に捉えることはできないまま、

有限な日常の行動を積み重ねながら生きていくそうしたあり方

のことではないかと思います。

複数の問題と一つ一つ向き合うこと

私たちの生活には多くの問題があります。

例えば、人間関係、仕事、育児、社会問題、環境問題などです。

これらは時に、一つの巨大な問題のように感じられ、

「それを解決するにはどうしたらいいのか」

と途方に暮れてしまうことがあります。

しかしながら本書では、

それらの問題は、一つの大きな問題に集約できるものでもなく、

また、全てが一本の線で繋がっているわけではないと語られます。

それらの問題は

別々に存在しながら、

時に繋がり、時に絡まり合いながら、ところどころが重なるような状態で存在している。

だから大きな問題を一気に解決しようとするのではなく、

ひとつひとつの絡んだ糸をほどくように、

その都度その都度向き合っていくことが重要だと思います。

そしてこれは、非常に心強いメッセージだと思います。

大きな問題を前にすると、人は「自分には何もできない」と、

心が塞いだり動けなくなります。

けれども、本書は

自分ができることに取り組む

実際に身体を動かしてみる

ということでいいと言ってくれています。

それならば何か自分でもできそうだなと前を向けそうな気がします。

有限性の怖さ

有限性について考えているうちに、

私は少し怖さも感じました。

今の社会では、昔よりも小さな声がすくいあげられる事が多くなりました。

かき消されていた声、流されてきた違和感や苦しみが、ちゃんと言葉として扱われるようになった。

それはとても大切な変化だと思います。

そうしたひとつひとつの有限な問題に目を向け、その都度向き合うことができるようになってきた。

それによって、今までこぼれ落ちてきたものが救われることも増えてきました。

けれども一方で、違う苦しみが出てきました。

本来なら、「私はこう感じた」という有限な感情だったはずのものが、

肥大化し、いつの間にか「だから私は絶対に正しい」という空気へ変わっていくことがある。

そしてSNSという拡張機により、そうした感情が瞬時に共有され、広がり、

時に“正しさ”として固定されていく

本来は“有限な存在”であるはずが、道徳的な完全性を求め始める。

私はそこに、

有限性が新しい絶対性へ変わってしまう怖さを感じます。

「だからこそ、自分の有限性を忘れない」

だからこそ、私たちは自分自身の有限性を忘れない事が大切だ思います。

みんなそれぞれが有限な存在であり、

そしてそれぞれに問題を抱えています。

それらが時に交わり絡まり合いして存在している。

だからと言って、

それらをひとつの巨大な問題と皆してしまうと、身動きが取れなくなってしまうかもしれません。

ひとつの正しさに集約すると、思考停止に落ちいたりしてしまうかもしれません。

だからこそひとつ一つをの問題として扱う。

そして自分自身のできることを、身体を使って解決してみる。

そうした小さな確実な行動が必要なことなではないかと思いました。

だからこそ、

世界全体を一気に解決しようとするのではなく、

目の前の問題に、その都度向き合っていくことが大切なのだと思います。

それは、非常に心強いメッセージにも感じます。

そして、そうした小さく見えるけれども、着実な動きが今の大切なのではないかと思います。

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