『体はゆく できるを科学する<テクノロジー✖️身体>伊藤亜紗』を読んでー身体体験の可能性を考える

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今回私は、『体はゆく できるを科学する<テクノロジー✖️身体>伊藤亜紗』の本を読みました。

本書のプロローグで、

本書の目的は、「体の側から論じる」「体の身になって考える」というミクロな視点から、

できなかったことができるを見てみるということ。

そして、いろいろなテクノロジーを見ていく中で見えてきた結論として、

「私たちは、自分の体を完全にはコントロールできないからこそ、

新しいことができるようになるのです。」P8

ということがわかったというようなことが書かれていました。

それを読んで私は

自分自身の体は、自分でコントロールできていると思っているけれども、

実際はそんなことはないのだ

ということを、あらためて実感させられました。

さらに、プロローグで

「できなかったことができるようになる」経験は、ミクロに見ていくと、

そこには、意識が体を手放し、追い越されていく瞬間がある

とありました。

つまり、できるは頭ではなく、体が先にいっている状態である

ということです。

この感覚すごく面白いなと思いました。

自分の体は自分でコントロールできず、コントロールの中枢だと思っていた頭よりも

体が先にいっている状態。

この辺りに興味を持ち本書を読み進めていきました。

今回はその中でも、

第一章「こうすればうまくいく」の外に連れ出すテクノロジー

ーピアニストのための外骨格(スケルトン)ー

の話が、たいへん興味深かったので、この章で私が考えたことを書いてみようと思います。

ピアニストの外骨格(エクソスケルトン)とは何か

ピアニストのためのエクソスケルトンは、ピアニストでありながら、体の動きに注目して、

ピアニストの演奏技術を助ける方法を研究している科学者の古屋晋一さんによって作られたものです。

これは「ガンダムのモビルスーツのようなグローブ型の外骨格」で、

見た目はいかつくて、「筋トレ目的に見える」ものですが、

実際は全く異なります。エクソスケルトンをつけ、スイッチを入れると自分の意思とは切り離して、

勝手に指が動き始めます。

このシステムを利用すると、プロの指の動きをそっくりそのまま体験することができるといいます。

どのような体験ができるのか

例えば、ピアノの練習として、

「2音を交互に素早く動かしたい」とイメージしているとします。①

2音交互の動き、ゆっくりならばできるけども、早く動かすと実際の指の動きってどんな感じなのか

いまいちイメージがつかない状態。

それをエクソスケルトンをはめることで、意識とは関係なく、勝手に手が動いていく②

面白いのが、実際にこの体験をした古屋さんのお子さんの感想です。

その感想が、「できた」ではなく、「あ、こういうことか」だったというのです。③

非常に面白いと思いませんか?

この例から、『できる』の体験の流れを整理すると、

①自分が理想の形をイメージできる

②そのイメージの通りに動かすことを体感する

③そういうことかと腑に落ちる

こうした流れだと思います。

ここではエクソスケルトンの役割は、単純にプロの動きを手に覚えさせるということではなく、

意識ではなく、体を理想の形の方へ導く補助線のようなものではないかと思います。

ここで私は、「あ、こういうことか」という言葉が気になりました。

なぜなら、この言葉は、単に外から与えられた動きを再現できたという言葉ではないよう

に感じたからです。この言葉を発する時って、自分の中になんとなく答えがあって、

それが一つにつながった時に出る言葉のような気がするからです。

もしくは、自分の中ではまだ形になっていなかったものが、身体を通して初めて

「ああ、これだったのか」と立ち上がってきたような感覚があるのではないかと思いました。

ここから私は、もしかすると、「できる」というのは、

体の中にある可能性が、何かの拍子で引き出される状態。

そして、その状態になっているときは、「体が意識を追い越す」のではないか、

また、そのような状態が引き出される条件として、

本書の言葉でいうと「体のユルさ」、私のイメージだと「身体の余白」があることによって

可能ではないのかと思いました。

実際に自分の中の体験ー逆上がりー

エクソスケルトンは、ピアニストそれぞれの固有性と体への正しい意識を向けるようにする目的

で作られていると私は読み取りました。

それとは全く異なりますが、できるに似た感覚として、「逆上がり」のできるの体験を思い出しました。

「逆上がり」、何度も何度も練習していると、ある時「するり」とできて、

「あ、こういうことか」という感覚を味わったことがある人もいるのではないでしょうか?

この時、頭でのイメージを思いながらできるというよりは、頭の先をゆき体が動いている状態です。

できるまでは頭で、できてしまうと体が先にゆき「こういうことか」という感想になる

逆上がりの例をもう少し細かく見ていくと

逆上がり練習の初め頃、自分でこうでもない、あーでもないとやっている時期があります。

そうこうしていると、「こうするんだよ」「こんな感覚だよ」とアドバイスを受けることもでてきます。

そうすると、右足をあげて、とかおへそを鉄棒にくっつけるように、とか

頭で考えながら体を動かしている時があります。

それと同時に、意識していてもなんだかチグハグに感じることもあります。

次に、誰かに補助してもらい、逆上がりのできた感覚を味合わせてもらうと、

なんとなくその言葉のイメージが、身体体験を持って体感できてイメージをつかめます。

その部分と自分がどのように体を使えばいいかを体が勝手に動く感じで、

何度も何度もしていたら意識してなくてもクルンと回れる瞬間がやってきます。

その時、初めて教えてもらった知識の意味がつながる。

また、体の中にあったできるの種を発芽させることができます。

この流れは、エクソスケルトンと似ている感覚ではないかと思います。

できた時のイメージが、リアルに体に感じることで、

この方向性で体を動かせばいいということがわかり、

もともと自分が持っている力の向きをそこに向けられるのだと思います。

そこから私が考えたこと

これを読んで私は、二つのことを考えました。

まず、できるとは、そのイメージへ、体をどの方向性で動かせばいいのか、

自分の持っている力を導き出すものがあれば、引き出される可能性があるのだということです。

ピアニストの例であれば、エクソスケルトンというテクノロジーによって、

本来なら知らない動きを身体体験として得ることができます。

その身体体験こそが、力の向きを示す補助線になるのだと思います。

そして、身体体験の重要性です。

できるということは、体をどのように動かすのかという身体体験があることで、

その方向性で体を動かせる範囲が自分にあれば出てくるのだろうと思います。

だとすれば、自分で体を動かすことを多くしておくことで、自分の中の可能性を高めておく。

つまり、身体を動かすことは、自分でもまだ知らない身体の可能性に出会うための

準備なのかもしれません。

だからこそ、実際体を動かしておくことは、重要ではないかと感じられました。

最後に

私たちは、自分の身体を自分のものとして使っているけれど、

自分の身体が何をできるのかを知っているわけでもないですし、

全てをコントロールできるわけでもありません。

だから、「できる」ということは、頭の中にある答えを身体に実行させることだけではありません。

身体が先に動き、その経験を通して、

初めて自分自身が「こういうことだったのか」と知ることもあるのです。

そしてそれが、自分の体とつながったようでとても面白い体験となります。

そしてその際、テクノロジーは、その身体がまだ知らない動き方を示す補助線になり得えます。

そして、その補助線をきっかけにして、身体自身が自分の可能性を見つけていことができます。

そこから考えた私の仮説として、自分自身がいろんな体験を生身の体で体験し、動かしておくことで

その身体体験が、いつかの「できる」につながる可能性があるのではないかと思います。

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