別の角度から見る学習の躓き

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子供の勉強の躓きに対して、私はいろいろな観点から、見てきました。

一つ目メンタル的な面、https://you-try-blog.com/blog20241218/

二つ目は子供の性質、特性による面、https://you-try-blog.com/blog20241220/

そして今回は別の観点から子供の勉強の躓きを解消できるかもしれません。

その新しい視点を見出せたのは、

『学力喪失──認知科学による回復への道筋 (岩波新書 新赤版 2034) 今井むつみ』

という本です。この本は認知科学の観点から、子供の勉強の躓きを見ています。

その中で分かったこととして

子供の躓きが解消されない理由は、大人側の問題である。

であるということでした。

つまり、指導自体に問題がある、そして大人が誤解している部分がある、ということです。

だから今回はその部分を自分なりに整理しながら、どのようにすればいいのかを

本書から抽出し、自分自身が子供にできそうなことを考えてみたいと思います。

間違った「教育観」と「知識観」

筆者は、子供の躓きが解消されないのは、「大人側に問題がある」と言っています。

どのような問題があるかといえば、誤った「教育観」と「知識観」だと言っています。

誤った「教育観」と「知識観」とは何か?

本書の中から私がまとめるとしたら、

誤った「教育観」とは

・テスト高得点=学力があると思っていること

・反復練習が知識習得になると思っていること

そして

誤った「知識観」とは

・「知識」について誤解していること

・人間の記憶と思考の仕方の仕組みについて誤解していること

となると思います。

私自身に照らし合わせると

「反復練習が知識習得になると思っていること」

私自身はどうであるかというと、「反復練習が知識習得になると思っていること」

はまさにそう考えていた部分があると思います。

私が子供の頃から、計算ドリルや漢字ドリルというものがあり、何度も繰り返し解いてきた節が

あります。社会や理科もワークを何度も解くことで、間違ったものも暗記していくというような

スタイルをとっていたように思います。

もちろん、何度も練習することで、理解できたり、感覚をつかめたりできるということも

あるように思えるので、一概に全てを否定するのも違うようにも思いますが、

何度もやれば理解できると、知らず知らずのうちに思い込んでいたのは事実です。

自分が実際に子供のわからないという気持ちを理解するために、

私が苦手なこと(高校の数学)を取り組んだことがありました。

その時、私はワークをして、できなかったところにチェックを入れて、

そこができるなるまで繰り返すというようなことを行ってきました。

今振り返れば、

結局本質を理解してるわけではなかった

自分がなぜ躓いているのか理解していたわけではなかった。

ただその答えを暗記しているに過ぎなかった

と思います。つまり、私は著者が言われている間違ったことを自分自身の学習においても

行っていたということになります。だから結果的に何も習得できずに終わってしまった

のだと思います。

ではそれを誰かに丁寧に教えてもらえれば私は理解できていたのでしょうか?

筆者はそれに「NO」を突きつけています。

本書から引用すると

「丁寧にわかりやすく説明すれば学び手に理解され、繰り返せば定着する」

は教え手の持つ誤解である。P52

ここに書かれているのは、教え手の視点での誤解を書いています。

ですが私のような学び手自身も、丁寧に教えてもらえれば理解できると思い込んでいます。

また筆者は、そのようにして得た知識を「知識」と思っていることが誤解であると言っています。

「知識」について誤解していること

私自身、「知識」とは何かを意識したことがなかったので、どんなイメージなのかわかりません。

ですが、今の私は、「知識は誰かから教わるもの」というように思っている私が見え隠れします。

それに、今まで勉強をしているという状態、つまり学校に通っている間は、

何かを教わるという受け身の行動が多かったように思います。

ですが、筆者はそれが誤解だというのです。

筆者がいう「知識」とは

以下引用すると

知識は「覚えるもの」ではなく「学び手が創り上げていくもの」であること

「生きた知識」と「死んだ知識」があること P30

知識を「学び手が創り上げていくもの」とは、なかなかハードルが高いように感じます。

「生きた知識」とは一体何か。

本書によれば

「生きた知識」は、単体で存在する断片的な情報ではなく、知識のシステムの一部である。p31

「生きた知識」の極、つまり最高段階の「生きた知識」とはどのようなものだろうか。ここではとりあえず「様々な状況においてすぐに取り出せて問題解決に使える知識」としておくp37

とあります。

つまり、単体で理解しているものではなく、広がりとして使えるもの、

直感的に理解できるようなもの、というようなイメージなのかなと思います。

私の高校数学はまさに「死んだ知識」です。単体として、理解している?いや、

知識をなんとなく持っているが、それがどのような広がりを持つのかイメージが湧かない。

ただある。という感じです。

今回は少し長くなったのでこの辺りで一度終了したいと思います。

次回は

・人間の記憶と思考の仕方の仕組みについて誤解していること

などについてみてみたいと思います。

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