『ふつうの子ども 呉美保』の映画を観て考えたこと。パート3

学校の風景 映画

前回、前々回に引き続き、 映画『ふつうの子ども 呉美保』についての考えたことを

書いてみようと思います。

今回は、周りの環境によって大人にならざる得なかった心愛ということについて考えて、

今までの考えから、まとめの考察をしてみようと思います。

大人にさせられた心愛

心愛は「環境問題」について考えている女の子で、発言も同じ学年の子よりも大人びているように

思います。周りの子と一緒に遊びというよりは、読書をしているような子です。

前回の唯士が注意された作文の宿題で、心愛は環境問題についてのことを書いています。

大人が環境を汚している、大人はどう考えているのかというような強い主張をした作文でした。

先生も「そういうことを言うのはどうかな」と少したじたじで流ような感じを受けます。

しかし心愛は、それについても、物怖じせずに自分の意見を言います。

ちょっと話は少しそれますが、

それに対して先生は、深く考えたくない、話を複雑にしたくないという心理を

感じさせる態度をします。(というふうに私には見えました)

これって、大人がやりがちな対応ですよね。それがまた私の心に刺さりました。

さて本題に戻り、

そんな彼女に恋をした唯士とちょっとやんちゃな陽斗3人で環境活動関わることをやっていきます。

しかしそれが問題になり、学校でも取り上げられ、やりすぎではと思う男の子たち。

それとは裏腹に、心愛はもっと活動をしなければとどんどんことを起こそうとしています。

そうした心愛の頑なな行動。

私はそう言う部分に違和感を覚えました。

大人の活動家のように、正義を語り、これが正義だと強く信じて突き進む、

この行動は、子どもの無邪気さとはかけ離れたものだなと。

無理して大人になっている、背伸びをしている感じだと。

このような行為の裏には、心愛がそうしたくてそうなったのではなく、

周りの環境で、大人にされてしまったのではないかと推測しました。

映画の終盤に彼女の親も学校に来ていたが、その時の母親の姿口調などを見ていると

非常に子供に威圧的でした。そう言う状況を見ながら、心愛は、この母親と会話するには、

こうした在り方でなければ、話ができない環境であったのではないかなと思ったりしました。

私は、それがいい悪いとか、親が悪いだとか言いたいのでは決してありません。

「そうせざる得ない」という環境に少し視点を持つ必要があるのではないかと思いました。

そして、心愛の母親が、そんな強い対応をしなければならに環境についても少し考えてしまいました。

だからこそ、私は親として、自分の環境はどうであって、それが結果的に、

弱きものである子供に与える影響の大きさについて考え、少し怖さも感じました。

ふつうの子どもってなんだろう

この映画を見て、映画の題名にもなっている「ふつう」とは一体何だろうかと考えさせられました。

その一つの解として、主人公唯士のようなあり方なのではないかと思う。

好きな人のために、その人に近づこうと、彼女の興味あることにトライしてみる。

そして、面白そうなことに何気なくやってみて、でもこれが悪いことだと思いながら、

でもしぶしぶやってしまう。

また駄菓子屋さんで好きなおやつを買ってお友達と交換しながらワイワイ食べる。

学校で問題になると、怯えたり、どうしようかと悩んだり。

こうした、興味に飛びつき、失敗で怯えて隠そうとしたり黙っている姿、

そう言うのは子ども時代ならあること。

誰しもそのような体験をしたことがあるのではないでしょうか?

しかし今はそれを体験することが難しくなっているように思います。


そうした悪さみたいなものができない。

強く監視される。

あるいは一度の失敗が、テクノロジーの力によって取り返しのつかないものになってしまう。

失敗の体験が難しい環境になっているように思います。

それを映像で見せてもらったように思います。

だからこそ、親である私は、少し自分の行動を振り返らなければならないと思ったりします。

自分が子供にしていること、いっていることは子供にどのような影響を与えているのか?

子供を変に矯正してはいないだろうかと。だからと言って大人も萎縮するのも違うと思います。

救いだというか、可能性を見出されたのは

「最後のシーンで、大人びていた心愛が、ふつうのこどもとしての笑顔が見れたところ」です。

少なくとも私にはそう見えました。

例え、早くに大人にさせられたとしても、周りの子供の影響、

今回であれば唯士が過激な環境活動をしていた理由、で、それらのガードが柔らかくなること

があるということがわかったことです。

過剰に大人が萎縮したりする必要はない、周りがまた人を作り上げる。

そうと理解した上で、

私は子供に「ふつうの子ども」という時期を過ごさせてあげれているのだろうか。

自分にもう一度問い直したいと思いました。

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