『普通の子 朝比奈あすか』「特別」ではない「普通」にあるいじめの構造と怖さ

カフェ ブログ

今回は前回も取り上げた『普通の子』という本から別の視点で考えてみようと思います。

それは

「いじめ」に加担してしまうのはちょっとしたことからで、

誰もがその萌芽を持ち合わせているのだということ

についてです。

『普通の子』の私が感じた怖さ

『普通の子』は、美保(晴翔の母親)と晴翔、2世代のいじめについて書かれています。

この本を読んでいると、いじめの恐ろしさというのがじわじわと伝わっています。

友達に見えるグループでも、そのグループのトップのような人がいて、

その人が誰をいじめのターゲットにしようか、次は誰がその立場になるのだろうか

という駆け引きのようなものが見え隠れしているような描写があります。

またクラスの誰かをターゲットとして、周りが意地悪をする空気というか

そういうエネルギーに支配されていて、本当は悪いことだと知りながらも加担していたり、

次にいじめのターゲットにされないようにみんなの渦に入っていたり。

そんなのをみていると怖いなと思ってしまいます。

この怖さは特別なもの?

しかしこれはある特別な話であり、私たちと別の世界の話に見えるでしょうか?

私はそうではないと思います。どこでもいつでもこのような状況はあり得るものです。

なぜなら、人間誰もが根底にこうした側面を持ち合わせているのではないかと思うからです。

大人である私たちも、職場で誰かの強い力で場が支配されていたり、

誰かの悪口を周りに合わせて言ってしまったり、そういうことが普通にあるのではないでしょうか?

それはいじめという大きな枠組みではないとしても、それこそが「萌芽」ではないでしょうか?

変わることのない構造

誰か力のあるものがダブルバインド的に支配する構造、

嫌だと思っていてもなかなか言い出せない状況

周りも加担して、雰囲気に流されて、いじめが加速していくような構造

人間の一人では生きていけない、人とか変わって生きていかなければならない

というあり方ゆえにどうしても起こってしまう構造

これはいつの時代でも変わっていないと思います。

いじめのスタートはあまりにも小さなことである場合も多い。

しかし、たくさんの人のエネルギーがそこに関わるととんでもないことになっていく。

取り返しのつかないことになっていく。

現代の怖い構造

しかし現代は過去とは異なる怖さがプラスされています。

それはSNSなどの機器の影響力です。

たとえ昔と同じような出来ことであっても、それがとてつもない破壊力を持って

影響を与えてしまっている。

文明が進むと、それらが増幅装置として今まではと異なる大きな影響をあたえてしまう。

これがさらに怖いことだと思います。

最後に

決して「いじめ」の構造が特別なことではなく、誰にもそしていつでも起こり得ることだ

ということを知っておくことが必要である思います。

そして、今は新しい機器が増幅装置になってしまう、その恐ろしさを理解しておく必要もある

と思います。

問題は、「特別な誰か」ではなく、誰もが加担してしまう可能性があるという点

ここだと思います。

だからこそ、この話は怖い。他人事ではなく、あまりに自分自身の問題と迫ってくるのだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました