生きているだけで利他であること

虹 ブログ

前回まで『竜とそばかすの姫』の物語や倫理観から利他とケアについて考えてきました。

今回はそれとは別の観点で利他を見たいと思います。

利他ケアとは何か(おさらい)

ここで一度、おさらいしてみたいと思います。

ケアとは、他者の大切なものを共に大切にしようとする実践であり、
その中で自分の価値観と衝突し、自己変容を迫られる行為が利他である。

というものだったと思います。

しかし私の中には、ひとつ懸念があります。

それは

「利他」や「ケア」が、行為の内側ではなく、

外側から評価される言葉として用いられてしまうこと

あるいは、

それらが神聖なものとして語られてしまうことです。

そもそも利他やケアは、

自分の大切なものよりも、他者の大切にしているものを優先する行為です。

言葉にすれば簡単ですが、実際に行うのは決して容易ではありません。

それは、自分自身の勇気が試される行為でもあります。

だからこそ、

ある種の力や能力がなければ「利他」は行えないのではないか

と思ってしまうのかもしれません。

自分の存在に意味を感じられなくなったり、

自分は必要のない人間なのではないか、と感じてしまったり。

無力感に苛まれることもあります。

実際、私自身もそのように思うことがあります。

私は何か社会に還元できているのだろうか。

そんな問いが、頭の中を駆け巡ることもあります。

そんなネガティブな考えを抱えていた私ですが、

そこに、別の視点を与えてくれる一冊の本と出会いました。

新しい視点をくれた本

その本は

 『動的平衡は利他に通じる 福岡伸一』

です。

題名にもあるように、ここでのキーポイントは「動的平衡」です。

動的平衡とは何か、そして、それがどのように利他に関与するのか?

それを見ていこうと思います。

動的平衡とは何か

本書では以下のように書かれています。

『秩序はそれが守られるためにまず壊される。システムは、変わらないために変わり続ける。

生命のこの営み、分解と合成という相反することを同時に行い、

しかも分解を「先回り」して行うこと、これを「動的平衡」と呼ぶことにした。p6』

とあります。

少しイメージがしにくいかもしれません。

例を挙げると

私たちの骨には破骨細胞というものがあります。

その破骨細胞は、骨を壊す細胞で、壊しては骨を新しく新陳代謝を行っています

どうして作ったものをそのままにしておくのではなく、壊してしまうのか?

それは新しくすることで、あるべき状態に保つために行なっているのです。

また別の例として

アポトーシス(プログラムされた細胞死)という機能もあります。

これは古い細胞や傷ついた細胞は、アポトーシスによって計画的に破壊され

新しい健康な細胞に置き換わる機能です

分解や破壊は新たなものを作り変えるという次に続く営みであり、

創造的な作業である

というような内容が本書でも書かれていました。

生命がある限り、動的平衡が行われれているのす。その際に互いに影響し合っている。

死んだ後も動的平衡

なんと、私たちは死んだ後も動的平衡を行なっているというのです。

『死後も、死骸の有機物として、絶えず環境の中に戻される。

生命は解体すること構築することをすることにより、生命自体のサイクルが終わったとしても、

大きな他の生命の流れという点において、死という解体によって、

また他の生命に再利用されることで再び構築される。

この営みが利他性であるということになるのである。p8』

生命の循環は絶えず動的平衡が行われており、それ自体がまさに利他である

と著者は言っているのです。なんだかすごいシステムの中に私たちは生きているのだと思わされます。

私たちは死んだらそこで終了であるように思いますが、私たちは分解され、

別の個体として合成されている。

生命の循環の中の一つであることに、不思議な感覚を感じます。

動的平衡の利他が勇気をもらえる

『生命の基本原理は、絶えず他者に何かを手渡し続けること、

ストックではなくフローをし続けることによって成り立っている。

他者のエントロピーの排出を、もう一度秩序あるものにつくり返すことによって成り立っている。

p9』引用

この姿勢が生命の中にあらかじめ組み込まれているものであり、

そこから人間社会へと波及したものが、

私がこれまで物語や倫理の文脈から考えてきた「利他」なのかもしれません。

つまり私たちは、そもそも利他性の循環の中に組み込まれて生きており、

それを人間社会というミクロな世界で見たときにも、

利他は不可欠なものとして立ち現れているのだと思います。

そう考えると、私たちがその流れの中に身を置いて生きていること自体が、

結果として利他を行っていることにもなる。

それはとても不思議で、同時に勇気づけられることです。

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