歴史的観点で虚構について考えてみるー『ホモデウス』

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前回、『言葉の本質 今井むつみ 秋田喜美』の本から、抽象的な言葉という観点から

虚構について考えていました。今回は歴史的な視点で虚構がどのように世界に広がっていったのか

ということについて

『ホモデウス テクノロジーとサピエンスの未来 ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳』

から考えてみようと思います。歴史的な観点であれば同著の『サピエンス全史』の方が

適切のような気もしますが、その本は読んだことがありません。

(現在読み進めているところです)

そして『ホモデウス』は以前読んだことがあり、その時に「虚構」という言葉が印象的でした。

ですのでそのキーワードを元にこの本から学んだこと考えたことを書いてみようと思います。

簡単に『ホモデウス』のあらまし

この本は、現在までの歴史の流れから、今後世界はどのように変わっていくかという未来を

考えた本であると思います。この本では未来は一部の人間が神のようになる「ホモデウス」

になってしまうのではないかという仮説を立ってています。人間は「不死」と「至福」と「神性」

を得ようとしているのだと言います。それを得るために、新しいテクノロジーを使用して、

人間をアップグレードしようとしているのではないかと言います。そのような世界の末路について、

筆者は警鐘を鳴らすとともに、私たち自身が考えることによって、悲劇を転換させることを

希望しているような本だと思います。

共同主観的現実と虚構

私がキーワードとして挙げている「虚構」に関して、それと同様な考え方である「共同主観的現実」

というものが大切な用語であると思います。

共同主観的現実とは何か

本書によると、私たちの現実には、客観的事実主観的現実

そして第3の現実、共同主観的現実というものがあると言います。

客観的事実と主観的事実はイメージしやすいと思います。

客観的現実の世界では、物事は私たちが信じていることや感じていることは別個に存在する。たとえば重力は客観的現実だ。 p248

であり、

主観的現実は私個人が何を信じ、何を感じているか次第だ。p248

といいます。

では共同主観的現実とは何か

共同主観的なものは、個々の人間が信じていることや感じていることとによるのではなく、

大勢の人の間のコミュニケーションに依存している。p249

とあります。具体的な例としては、お金、です。お金は客観的な価値はないのです。

ただ大勢の人の間で信じられているから価値をなすというわけです。

なぜサピエンスが世界を支配しているのか

少し視点を変えて、なぜサピエンスが世界を支配しているのか。動物と何が異なるのか?

その答えはまさにサピエンスが「共同主観的なものを生み出す能力」

つまり、サピエンスだけが架空の存在(例えば、アメリカドルやグーグルや欧州連合)を

想像できるからである。

その必要な想像力の有無が、動物が人間に拮抗できない理由であるのだと言います。

そのような架空の存在を人間同士で共有するのに重要なのは、「言葉」です。

言葉を使って、完全に新しい世界を生み出すのです。

これが、共同主観現実を強化することになるのです。

人間の架空の存在を想像することができる力、そして虚構を言葉で強化し、

同じものを互いに共有し合え、信じることができるということがポイントになるのです。

意味と虚構

その架空の存在を信じる。つまり、「意味がある」と人間は思っています。

そしてそれには客観的な意味があると思い、大切なものであると信じたがる、もしくは信じている。

だけど、その「意味」は、それらの共同体の物語のネットワークの中でしか「意味がない」

といいます。

なぜなら

意味は、大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げた時に生み出される。p252

だからです。意味があるものと思っているものも、いざそのネットワークの世界から出てしまう、

終わってしまうと、それに意味がなかったということもあるわけです。

つまり「虚構である」わけです。

虚構の力とちょっとした怖さ

そのような共同主観的現実、虚構、であるにもかかわらず(この言い方が正しいかわからないですが)

大きなパワーも持っているのです。

本書にも

歴史における極めて重要な因子の多くは、共同主観的なものだ。p249

と書かれていました。

私の個人的な感想ですが、この共同主観的現実というもの、つまり人々が作り上げてきたこうした

虚構が歴史の中核にあり、歴史を動かし、人を動かしてきたのだと思うと、

歴史を見ていく中で、その力の凄さとどこか恐怖というか怖さのようなものも

同時に感じます。

この虚構の世界をどう生きるべきか?

こうしてみていくと、共同主観的現実、つまり虚構の世界というのは、歴史を動かすほどの

非常に力があることに改めて気が付かされました。だからと言って、虚構が不要かと言えば

決してそうではないのです。著者は虚構も悪くはない。この物語、虚構の世界がなければ、

この複雑な人間社会を一つとして機能しえないといいます。

重要なことは物語があくまでも道具であること、そしてその物語が虚構に過ぎないということ

を忘れてはいけないと言います。

物語を目標や基準にするべきではないl。私たちは物語がただの虚構であるということを忘れら、現実を見失ってしまう。

企業やお金や国家は私たちの想像の中にしか存在しない。私たちは、自分に役立てるためにそれらを作り出した。p299

とあります。

私たちは物語の中で生きているけれども、それはあくまでも道具であるということ、

それを忘れてはいけないのです。

そして、

あるものが現実のものかどうかの判断の方法として、

「それが苦しむことがありうるか?」と自問しさえすればいい。

虚構と現実を区別すべきなのだ。p298

非常にシンプルな方法です。ですが私たちがその世界にどっぷり入っている時に自問できるか。

日々訓練が必要かもしれません。

もう一つ、これらの視点は歴史を学んでいくからこそ見えることだなと思いました。

本書を読んで、虚構の世界を客観的に見ることで理解できました。

歴史視点を得ることが私たちに虚構なのか現実なのか区別する方法や必要性を学べたように思います。

私がこれからやろうと思うこと

本書は今までの歴史に加え、未来のあり方についても語られています。

簡単にいうと、これからはバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムによって、

私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、多くのものを創造することができるようになる。

そして虚構と現実、宗教と科学を区別することが難しくなるだろうと書かれてありました。

虚構と現実の区別が難しくなるがそれがますます重要な力となるのだとしたら、

私がこれから鍛えたい力として

自分自身の軸を持つことー倫理観

情報を自ら選択して選ぶこと

クリティカルシンキング

以上のような力が必要であると思いました。

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