ことばと抽象と虚構について考えたこと・第二弾

多数の文字 ブログ

前回に引き続き、抽象的なことばと虚構について書いてみようと思います。

今回は、動物と人間、言葉をもたないもの持つものという視点から、どんな違いがあるのかを

『言葉の本質 今井むつみ 秋田喜美』の本を引用しながら書いてみようと思います。

動物と人間の違いー対称性推論ー

動物と人間の違いはズバリ「対称性推論」を行うのか行わないかであると言います。

対称性推論

対称性推論とは何かというと

前提と結論をひっくり返してしまう推論ーこれを心理学では対称性推論というー

対称性推論は、アブダクション推論と深い関係がある、非論理的な推論であるp232

とあります。

どういうことなのか、チンパンジー「アイ」の実験から見てみましょう。

チンパンジー「アイ」は、訓練を受け、異なる色の積み木にそれぞれを対応する記号を選ぶことが

できるのだそうです。

例えば積み木の色が黄色なら記号△、赤なら記号○を選ぶと教えたら、

それぞれの色の積み木を出せばその記号を選ぶという具合だそうです。

ですが、驚くことに、△の記号が出たら黄色を選ぶ、○の記号なら赤を選ぶという

人間であれば当たり前にできる逆のパターンが、チンパンジー「アイ」にはできなかったというのです。

つまり

ことばの形式と対象の間に双方向性の関係にある、と言うことが当たり前ではないp226

だと言います。とても面白いですよね。

何気なくやっていたことですが、そこに双方向性の関係があるということ

自動的に思って判断していたのですね、人間は!

ですがその人間の方が、論理的には正しくない過剰一般化であると著者は言います。

非論理的推論ー人間の過剰一般化ー

人間の論理的に正しくない過剰一般化とはどういうことでしょうか?

「AならばX」を「XならばA」というふうに判断することです。

本書の例を挙げると

英雄は色を好む、xは色を好む。だからxは英雄である。

これは誤りであるということはわかります。

です人間は日常的にこのような非論的な推論を、幼少期の時から行っているのだと言います。

そして、これがまた面白いことですが、この非論理的な推論である非対称性推を行うこと、

(記号A→対象X そして 対象X→記号Aであると一般化できると想定する)が言語学習に

必要なことなのです。

ここから導き出される仮説そして疑問

言葉を話さない動物はしない対称性推論、言葉を話す人間がする対称性推論

このようなことから

対称性推論をごく自然するバイアスが人にはあるが、動物にはそれがなく、このことが、

生物的な種として言語を持つかもたないかを決定づけているp234

という仮説があるそうです。

さらに

人間は行っている対称性推論絵をするバイアスが、

ヒトの子どもでどのように生まれるのか

という新たな問題があるのです。

簡単にいうと、生まれつきのものか、それとも後天的なものなのか?

それに結論を出すべく、

筆者はヒト乳児(言葉の習得をまだはじめていないであろう生後8か月の乳児)と

チンパンジーに実験を行ったようです。

(この実験も非常に面白い内容です。ぜひ読んでいただきたいです。)

その結果

その結果、言葉の意味を覚える前のヒト乳児は対称性推論を行い、

チンパンジーは対称性推論を行わなかったようです。

つまり人間は先天的にその力を持ち、

そしてその力は言語取得において必要な推論(認知バイアス)および

認知能力であるのかもしれないという可能性があるということなのだそうです。

つまり、人間にとって、アブダクション推論はもっとも自然な思考なのであり、

そこから多くの言葉を得たのだと考えられるのです。

人間が生き抜くために必要な力だった

この対称性推論は人間が進化の過程で徐々に形成された可能性を示唆しています。

上記にも書きましたが対称性推論(つまり非論理的推論)は誤った一般化ということが

起こってしまいます。その論理的推論が持っている利点、それは

既存の限られた情報から新しい知識を生み出すことができる。(一部省略)

不確かな状況、能力的な制約の下で、限られた情報でないにしろ

それなりに妥当な問題解決や予測を可能にしている。

事例をまとめるルールを作ることで、(一部省略)

情報処理上の負荷を減らすことができる。p244

少ない情報からある程度の妥当な問題解決、予測をすることができ、

ルールを作成することにより、素早い決断が可能になるということなのだと思います。

そのような力は進化の過程で非常に重要です。

人間が動物と異なり多様な場所に生息してきました。だから不確実的な要素が多い環境にさらされてき

ました。そのような環境で生き残るには、少ない情報、観察などから推測予測をする必要があった、

たとえ間違いを含む可能性があってもある程度問題解決できる、アブダクション推論をすることが必要

であったのではないかということが書かれていました。

つまり人間の生存戦略の中で必要な力であり、その力すなわち、アブダクション推測により、

言語というコミュニケーション、そして思考の道具を得ることができたのではないか

ということなのです。

私なりの結論

非常に面白いなと思います。アブダクション推論とは不確定な世界を生き延びるために生まれた

思考であり、その推論は完璧ではない、そこそこうまくいくというものです。

手探りに手探りを重ねながら、新たな結論を生み出す、そうして身につけた言語であるからこそ、

個々が思っていること、同じだと思っているのもの、もしかすると異なるのかもしれない、

完璧な一致をしていない可能性もあるのではないかと思います。

そのような、完璧ではないものの集合体だからこそ、絶対的なものはなく、

虚構であるということなのかもしれないなと思いました。

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