学力の躓きについて考えるープレイフルラーニング

遊んでいるこども ブログ

ここ数回、学習の躓きはなぜ起こるのか、ということを

『学力喪失ー認知科学による回復への道筋ー 今井むつみ』

を読んで、認知科学の側面から考えています。

そこで「生きた知識」を得るために必要なこととして

概念を記号接地を行うこと

ブーストラッピングサイクルをまわし、子どもが自分で抽象化を行うこと

質の高いアブダクション推論を行うこと

「システム2の思考」で「システム1の思考」を制御すること

が大切なことがわかりました。

ではどのようにしてその力を身につけることができるのか、

私ができることはどのようなことなのかを考えてみようと思います。

どのようにすれば身につく?ープレイフルターニング

本書で提案されているのは「プレイフルラーニング」です。

プレイフルラーニングとは、遊びを通して学ぶということです。

人間は遊びながら学ぶ。楽しいから学ぶ。

そうして生きた知識を学ぶのだと言います。

本書では

遊びは、象徴的な思考を伴うことが多い。象徴はアブダクションだ。

だから遊ぶことはアブダクション推論をすることに他ならない。p236

と書かれています。

アブダクション推論をすることの重要性、そしてそれは遊びから自然と起こってくるものだという

ことがわかります。

ここで私が感じたことは、遊びと学びというものに境界性のようなものはない、

もしくは、自分が興味を持って取り組むことそれ全てが、遊びと呼べるのではないか

ということです。

学びというと、何か人からさせられるものだとか、

遊びに対して辛いもののように感じるかもしれません。

遊びの方が楽しいものであるというように感じるかもしれません。

ですがそうではなく、楽しんでいる中に何かしら、学びがあるのだと思います。

私がこのブログで、本を読んで考えて、日常のことで思ったことを書いて、

というようなことをしています。

初めの頃は、学ぼう!という感じで書いていたように思います。

ですが、今は学ぼうと思っているというよりは、

自分の中で何かしら知りたいこと、興味関心があることがあるから書いているという感じです。

私のアンテナに引っ掛かった興味関心ごとに対して、自分なりに仮説を立てる。

そこから、本を選んで、本を読んでみる。

そこからさらに思考巡らしたり、自分が思っている仮説と通じるものがあれば、

心がワクワクすることもある。逆にそうでないとしても、新たな発見や気づきがあることで、

心がワクワクしたり、さらに知りたいと思う。

それは、私にとって、学びというよりは楽しみ、遊びなのだと思います。

冷静に考えてみると、これは自然とアブダクション推論をしているということ

になるのかもしれません。

具体的にできそうなことは?

大人がガイドする遊び(Guided Play)

上記の私のブログのように、自分の好きなものから、アブダクション推論をする。

そしてそこから自然と学ぶ

(例えば、漢字であったり、算数であったり、といういわゆる学校で習うこと)。

子どもだけでは難しいなと感じた場合など、大人が状況を設定したり、適切な助言をして、

子供をサポートする方法、これが大人がガイドする遊び(GuidedPlay)だそうです。

ここで大切なのは、主役はあくまでも子供であるということ

私が思ったこととして、この方法はかなり技術が要するのではないかなということです。

適切な状況、それは環境も含めてだと思いますが、それはやろうと思っていることの全体像が

ある程度把握できていないと難しいのではないかということ、

必要な時に、必要なガイドを差し出せるのかという自分自身の機転とタイミングについてのこと

などに自分自身がハードルがあるのではないかということです。

その辺りのハードルをどうすれば乗り越えれるか、そこが課題だと感じました。

日常と結びつけること

大人がガイドする遊び(guidedPlay)よりももう少し私の中のハードルが低そうなのは、

学校などで学んだこと、つまり抽象的な基概念を日常生活と結びつけるということです。

本書では

概念を生活経験に紐づけることから始めるべきである p236

とあります。例として、お菓子の配分、料理の調合など、算数と区切るのではなく、

実生活の中で織り込んでいくということが必要になるということです。

基本概念を使って、日常で実際に使用していくことで、身体化していくということです。

これなら、私でもできそうな気がします。

特に料理などは大さじ大さじ1/2など分数を使用することもありますし、

何よりもビジュアルでわかりやすいです。その基本概念がビジュアルとして、

実際のものとしてみること、感じることができれば、想像しやすくて、

より理解しやすいように思います。

実際に、例えば長さで、1メートルとあれば、1メートルとさらに、あなたの背のここぐらいとか、

大体親指が1cmとしてこれが100個分だよとか、子供には伝わっているかどうかわかりませんが、

イメージしやすいように心がけています。

そうすれば、単位の変換の問題など3.5mは何cmか?という問題があったとして、

3500cmとかいたとしても、もしかしたら、親指3500個分はおかしいかもと、

「システム2の思考」で「システム1の思考」を制御することができるかもしれません。

分散学習と多様学習

分散学習とは、あることを学ぶのに、集中して何度も行うよりも、少し間を空けながら学ぶ方が、記憶の定着が良いという理論だそうです。

多様学習とは、あることを学んで定着させるのには、同じことを繰り返すより、

多様な環境で学ぶ方が定着が良いという理論だそうです。

つまり、何度も何度も同じことをさせて、例えばドリルをずっとさせるというよりも、

時間も分散させながら、同じ事柄を違う文脈で使うことによって、

応用力が利きやすくなるということになります。

これも何となくできそうな気がします。どうしても、ドリルなどで何度も集中しやる方が、

覚えれるかもしれないと思ってしまいますが、そうではなく、時間分散や多様学習、

ドリル、日常のあれこれで使用するということをやってみようと思います。

まとめ

以上のことを考えてみると、

基本概念を、頭で分かりかけている概念、つなり接地しかかっている概念を、身体化するためには、

遊びから学んでいくことが有益であり、さらに、楽しいと思えることであれば、

何度も何度も行うので、それが身体化してくるということになります。

また、その際に、分散学習をすることで、記憶の定着に繋がるだろうし、多様学習をすることで、

例えば、日常生活とのつながりで学ぶ、ゲームをしながら学ぶ、などをとして

色々場面に対応できるようにもなります。

楽しみながら、いろいろな場所で、何度も行う。これが大切なことであると思います。

「知識を身体化できるのは学び手だけ」

最後に最も重要なのは、

「知識を身体化できるのは学び手だけ」

だということです。

「身体化」された、「生きた知識」になるまでに重要なことは「アブダクション推論」をすること。

仮説をたて、事例を観察・経験し、仮説を修正のらせん状のブートストラッピングをしていくことで、

徐々に接地をし、知識を洗練させながら、身体に落とし込んでいくことが重要でなのです。

そして、それが直感的にすぐに使えるようになる。

そうすることが「身体化」された「生きた知識」になるということだそうです。

これは自分自身で行うしか他ない、私たちができるのはそれをうまくサポートすることだけなのです。

それを邪魔しないということも、私がやるべきことだと思いました。

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