『竜とそばかすの姫』から最後のまとめ「ケアのあれこれ」

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今まで『竜とそばかすの姫』から色々なケアについてみてきました。

ここで、今まで見てきたケアをまとめると同時に、もうひとつ別の視点のケアについての提案を

してみようと思います。

ケアのまとめ

こうして考えると、いろんな立場の人々がそれぞれにケアを行っているということが

わかってきました。

そこには、

積極的なケア(意思的なケア)

自動的なケア(非意図的ケア)

揺らぎとしてのケア(構造的なケア)

そして

未完成のケア(時間的なケア)

と色々なケアが存在していることがわかりました。

それぞれのケアについて

積極的なケア(意志的ケア)

  • 自分が「ケアしよう」と意図して行う行為
  • 勇気・判断・倫理的決断が必要
  • 成功も失敗も、行為者の内面に強く残る
    → もっとも分かりやすく、同時に最も重たいケア

自動的なケア(非意図的ケア)

  • ケアするつもりはない
  • 自然体・日常的ふるまいが、結果的に他者を支えている
  • ひろちゃん型、あるいは「伴走型」のケア
    → ケアの結果が、後から意味を持つ

揺らぎとしてのケア(構造的ケア)

  • その人が「いること」そのものが、場の秩序を揺らす
  • 意図はなく、むしろ引き受けさせられている
  • 弱きものにされてしまった人/ルカ的存在
    → ケアが行為ではなく「現象」として起こる

未完のケア(時間差のケア)

  • その場では救済として完結しない
  • 失敗・後悔・違和感として残り続ける
  • 未来の倫理・行動を準備する
    → ケアが「結果」ではなく「痕跡」として存在する

となると思います。

こうしてみると、どのような立場であれ、私たちはどこかしらで人々に、

影響を与えながら、そして与えられながら生きている。

ケアは特別な行為ではなく、生きていることに付随的な営みであるように思います。

人は生きているだけで、多くのケアが生まれているということになります。

ケアは、道徳の「~しなければならない」という行為や、システム的な動きから外れて行われる。

そして、逆説的な行動であり、自分の感情や衝動に導かれて動くことになる

倫理的な営みでもあります。

だから、いつも不安定であり、揺らぎが生じる営みでもあるのです。

新しいケア

そんな中で私が考えたケアとして、距離を取るケアです。

距離を取るケア(拒否のケア)

  • あえて行動しない
  • あえて関わらない
  • 自分が壊れないことを優先する
  • しかし「無関心」ではなく、葛藤や痛みを伴っている

こうした考えもあるのではないかと思います。

これは、

  • 積極的ケアの対極ではなく
  • 未完のケアと隣接し
  • 中間的な人々に最も多く現れるケア

です。

「できなかった」ことを、暴力にしないためのケアと言えるかもしれません。

そして距離を取るケアは、他者のためであると同時に、自分自身を守るためのケアでもある。

つまりどういうことか。

ケアを万能なものとか、神聖化してしまうことは、圧力をかけることになります。

ケアをしないことが、「悪」だというような別の道徳的規範を振りかざし、

システム化してしまうことは、ケアとはかけ離れてしまう行為になるでしょう。

この世は、揺らぎと不安定さを持ち合わせている。

その中で生きることに付随するケアを行うことが必然であるのであるならば、

そこで、距離を持つことに理解する、そうせざる得なかったことに想いを馳せることも

立派なケアな姿勢であると思います。

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