前回の万博を考えるでは、「万博とは何か」を考えていました。
その中で、私は、
万博の目的とは、「内集団バイアスの壁を崩す」ということではないか
と仮定しました。
では今回は、
そもそも「内集団バイアス」とは何かということ、
そして「内集団バイアスの壁を崩す」とはどういうことか
を書いてみようと思います。
その際に、最近読んでいた本『「差別はいけない」とみんないうけれど。綿野恵太』を
参考にしてみたいと思います。
「内集団バイアス」とそれにまつわるエトセトラ
今回注目したバイアスとして「内集団バイアス」とそれにまつわるバイアスがありました。
それは
「内集団バイアス」
「外集団同質性バイアス」
「究極的な帰属の誤り」
一つ一つ見てみたいと思います。
「内集団バイアス」とは?
本書によると、
「自分が所属しない集団(外集団)よりも、自分が所属する集団(内集団)にたいして、
好意的な感情を持ったり、優遇するような行動を示す傾向。」p172
とあります。
例えば、スポーツ観戦とかオリンピックとか応援しているチームがあると思いますが、
それらを思い浮かべたら分かりやすいと思います。
これらは、自分が応援しようと思ってあるチームを応援するわけですが、
そのチームはもちろんそのチームを共に応援している人々にも
何かしらの親近感や好意的な感情を持つというのは想像できるのではないでしょうか。
ここで私が注目したのは、このバイアスを証明する実験の方法です。
この実験では、先ほどあげた例のような自らが選んだチームのような何かしらの意図を持って
選んだものでなくとも、つまり
ランダムにチームを分けたとしても、即興で作られたグループに、
好意的な感情を持ち、優遇するということが証明されたのです。
これは非常に注目ではないでしょうか?私たちの意識にならなくても、
何かチームになった段階で、そのバイアスが働いているわけです。
だとすると、所属意識が強い場面、例えば「私たちの国」というようなものであれば、
なおのこと、強い感情を持ってしまうことは当然であるだろうと推測されます。
「外集団同質性バイアス」とは?
さらに本書では
「外集団同質性バイアス」についても書かれていました。
これは
「内集団にたいしてはその集団の多様性を認識できるのに、外集団には多様性を認めず、
均一したイメージを持ちやすい」p173
とされるもので
「ステレオタイプ化してした認識を持ってしまう傾向」p173
だとも書かれていました。
これも実際に想像したら浮かぶのではないでしょうか?
例えば、私のバイアスですが、例えばアフリカの方は、足が速いイメージがあります。
おそらく陸上競技などの結果からそのようなイメージを持っているのだと思います。
ですが、実際アフリカの方だって、走るスピードは千差万別だろうから一概に言えない。
にも関わらず、そのようなイメージでものを見てしまうということです。
「究極的な帰属の誤り」
これは『認知バイアス辞典 情報研究所』という本から参照しました。
どういうものかというと
「自分の所属する集団(内集団)やメンバーの成功は努力や能力、失敗は運や環境をその原因とし、
自分の所属していない集団(外集団)やそのメンバーの成功は運や環境に、
失敗や努力を能力にその原因を所属するのである。」
これもよくあることなのではないでしょうか?
本書の例として挙げられていたのは、
「2002年のワールドカップでの日本と韓国の成績を日本の大学生を対象に行われた研究」でした。
日本と韓国がこの大会で、日本代表のベスト16、韓国代表のベスト4についてこうなった理由を
どう推測するか尋ねたところ
日本(つまり内集団)はこれまでの努力の成果だ、
韓国(つまり外集団)は運と勢いによるところが大きい
と答えたということでした。
これらのバイアスの問題点と?
これらのバイアスをまとめてみると
ランダムにチーム分けしても、自分の所属を内と外と分けてしまい、理由なく内側に好意や優遇を示す
外側に自分勝手なステレオタイプを持ってしまう
視野を狭めてしまう
自分の都合のいい考えを適応してしまう
というようなことがあげられると思います。
以上のことからこの3つのバイアスの問題点は、
「正確な判断が行えなくなる」つまり「客観的な判断ができなくなる」
ということになるのではないでしょうか?
それらは、内と外の意識が強くなってしまい、これらは差別や非難につながることになるのだ
と思います。例えば、自国という帰属とそれ以外という考えになり、
そこから、自国に都合の良い考えを適応したり、自国以外を差別したり、
非難したりということになるかも知れません。
これらのバイアスがある理由
このような厄介なバイアスがあるのはなぜなのでしょうか?
これは私の勝手な考えですが、「集団で生きていくための生きるための知恵」なのではないかと
思います。私たちの祖先の時代を考えてみます。集団で生きていくためには、
その集団から弾き出されないようにしなければならないでしょう。
そうなると、必然的に内集団に好意を持ち優遇するということが必要になると思います。
また内と外と分かりやすく線引きをすることで、その気持ちも線引きできるのだと思います。
さらにステレオタイプで物事を考えるのは、考えを単純化することができ、
脳のリソースを使わなくて良いからではないかと思います。全てのことを細かく考えていたら、
祖先の時代では、なおのこと、生きるか死ぬかのサバイバルな瞬間も多くあったでしょう。
だからこそ、はっきりと分かりやすい状態にしておくことが好都合だったのではないかと考えます。
しかしながら、現在は祖先の頃とは大きく変わり、多様性を重んじる社会です。
その中で、バイアスというものが、時には逆効果として働くことがあるでしょう。
多様性を受け入れることは、多くのパターンについて考え、内と外のことも考える必要も
あるでしょう。そうしたわけで、現在では意識的にこのバイアスと向き合わざる得ないと
いうことなのかも知れません。
これらのバイアスを打破するには
『認知バイアス辞典 情報研究所』では、
「集団間差別を解消するためには、対立している集団同士が協力しなければ
解決できないような課題を与えることが有効だ」p209
という研究結果がのっていました。
これはまさに万博の目的にも、サステナビリティという目標、問題について、
みんなで考えていく、というようなことがありました。
これらの試みは、一つの問題をみんなで共に解決しようということで、
この研究結果に通ずるのもではないかと思います。
それと同時に、「単純接触効果」も有効ではないでしょうか。
「単純接触効果」(『認知バイアス辞典 情報研究所』参考にしました)とは
特別な反応をもたらさないような物事(刺激)に繰り返し接触すると、
徐々にその刺激に対し好意的な感情を持つようになる現象、です。
万博でも実際に会うことによって、繰り返すわけではないですが、
何か心に刺激が与えられ、好意的な感情を持つようになるのではないでしょうか?
私自身がまさにこの経験をしました。(今更ながら万博を考えるー私の感動編でそのことを書きました)
実際の人に会うことで、その空気感やあり方をリアルな刺激で得られるからこそ、
効果も倍増するのではないかと個人的には思っています。
未来の進歩という観点では、リアルの社会の方が進歩し続けており、
万博というある時間を閉じ込めておくことは不可能かもしません。
しかし、こうしたある時間内ではあるけれども、リアルな人々の在り方から、
人々を身近に感じ、人々に興味を持ち、そこから問題を解決しようと思えるようになれば、
バイアスの壁も崩せるのではないかと思います。
万博のようにリアルで会えるからこそ、心を動かすことができ、バイアスの壁が崩れるのかも
知れません。ネットなどで簡単にいろんなものを知れるからこそ、
リアル、それこそが意味をなすというような、ネットが普及する前の状態に戻っているの
かもしません。

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