万博が終わってすでに1ヶ月は過ぎていますが、今回も万博のことを書いてみようと思います。
そもそも万博ってなんであるのか?万博とはなんだろう?って思いませんか?
そのことを調べて、そこから実際の大阪万博に照らし合わせながら、考えてみたいと思います。
結果的に万博の目的とは、「内集団バイアスの壁崩すこと」なのでは?という結論を導き出しました。
皆さんはいかがでしょうか?
万博ってなんだろう?
万博について、ネット上で調べてみました。
まず、万博とは正式には、「国際博覧会」というようです。
博覧会とは、Wikipediaによると、
「物品や資料などを集めて一般公開する催しのことである。」
だそうです。まさに大阪万博もそうでした。
国際博覧会条約によれば、
「博博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、
文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は
人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくは
それらの部門における将来の展望を示すものをいう。」
とあります。
科学技術、文化、芸術などの進歩を示すとともに、国際交流を深め、現代社会の課題解決に
貢献することも目指すものだということです。
大阪万博のHPの開催目的のページには
「万博」では新しい技術や商品が生まれ
生活が便利になる「きっかけ」となります。
エレベーター(1853年、ニューヨーク万博)/電話(1876年、フィラデルフィア万博)
ファミリーレストラン、ワイヤレステレフォン、電気自動車、動く歩道(1970年大阪万博)
ICチップ入り入場券、AED、ドライミスト(2005年愛知万博)」
ということが書かれていました。
私が注目したのは、進歩、未来、新しい技術や商品というような未来に向け何かしらの変化を
もたらすということでした。
万博の目的から見た大阪万博(私の視点)
その観点から、再び万博のことを振り返ってみようと思います。
と言っても、私が見たパビリオンが四つのみです。なので総合的な評価というよりは、
そのパビリオンごとを見てみたという私の独り言程度で、バイアスまみれですが。
ズバリいうと、
正直、進歩だとか、将来の展望というものが感じられたかというとあまり分かりませんでした。
ピンと来なかったというのが正しい表現かも知れません。
以下全てうがった見方のように思えると思いますが、辛抱していただければと思います。
私がみたそれぞれのパビリオンのHPなどを確認してみると、
サステナビリティ、多様性また没入感型の体験とという言葉が書かれており、
もしかすると、それらが進歩や将来の展望ということなのかなと考えました。
サステナビリティ
それぞれのパビリオンが示していたサステナビリティは、私の解釈では、
リサイクル可能な材料での建築というのがそれに当たるのかなと思いました。
実際、建築は、前回の感想にも書きましたが、非常に感動し、これを見るだけでも万博を見た意味は
あると思います。その一方で、リサイクル可能な材料での建築は、おそらく実社会でも行われている
ものだと思います。
多様性
多様性にあたるのは、私の解釈では、アゼルバイジャンやインドネシアのパビリオンであれば、
多様な民族の方の写真が展示されていました。その民族が多く暮らしているということが多様性
を意味しているのかなと理解しました。
こうして写真で展示されることで、この国にこれだけの民族が共に暮らしているのかという
こと、インドネシアパビリオンでは非常に美しい写真で、芸術的な感じを受けるものでした。
だから作品として見ると、非常に心が動かされるものだと思います。
その一方で辛口のコメントを言うとしたら、それらは本やインターネットでも確認できる情報
であると言えなくもないなと言う側面もあるように思いました。
没入感型の体験
色々なパビリオンの没入感型の体験というのは、アゼルバイジャンであれば、360°の映像、
スペインでは、パビリオンに入ると、海の中にいるような美しさ、そして幻想的な空間で
非常に感動しました。これら2つも作品として見ると非常に心を動かすものでした。
しかし、技術としては、すでに日常生活にもあるものではないかと感じました。例えば、最近では、
美術館などにも多く多用されています。
そんな中で、私が
スペイン館で、「近未来的なものがある」と思ったものがありました。
それは、透明のディスプレイに何か映し出されている、つまり「透明ディスプレイ」というものです。
映画とかで、SFなど見ていたら出てきそうなものです。
これらはもしかすると、最新技術的なものなのかなと思い、ほんの少しそのようなものに詳しい
旦那さんに聞いてみたところ、意外と透明のディスプレイは公共の場などでも使用されている
ということでした。
となるともうすでに私が近未来的だと思った透明ディスプレイも日常に存在している
ということになります。
進歩はすでに日常に
ここまで、パビリオンのことの悪い部分を書いたと思われるかも知れません。
そうでは決してありません。
私が言いたかったことは、
すでに進歩や未来の技術は、日常の中で進み続けており、
万博にとどめて置けないくらいの、スピード感になっているのではないか
ということです。だからこそ、それぞれのパビリオンを「技術」「未来」などという
視点で見てみると、それらはすでにここにはないのかも知れません。
それらを、それぞれのパビリオンがどのように表現するのか、ある種の芸術のような形
で違いを見せる場になっているのかも知れません。
だからこそ、見た人々を感動させたり、驚かせたり、感情を揺さぶるのかも知れません。
また、別の考えとしたら、私が想像している進歩や将来の展望といって思っているものと、
それぞれのパビリオンの思っているものが単純に異なっているのかも知れません。
以前の万博から生み出されたもの例として、エレベーターとか電話などがあります。
その開発された時代ならば、かなり驚きと多くの人々の実感として変化を感じられたのでは
ないかと思います。これからの進歩は、もしかすると、そうした分かりやすい、物質的なものではなく
例えば、AIのような、視覚的に分かりやすいものというよりは、自分自身で使用してみたり、
知らぬ間に便利であるようなものなのかも知れません。
そのようなものであれば、物品や資料を提示できないということがあるかも知れません。
そのような視点から見ると、サステナビリティと多様性というものは、提示できるもの
というよりは、日常の中で生活という動きの中で実感できるものであると思います。
つまり何が言いたいのかというと、大きな変化は、日常生活の中で、あまりにも早いスピードで
起こっており、この万博という空間内では表せないくらいのダイナミックな動きをしている、
そして、ますます人々の実際のつながりが重要なのではないかと思うのです。
ならば万博の目的は
だとすれば、この万博の大きな意味は、
いろんな国の人が集まり、その人々の表現を見て(展示されているもの)、
実際触れ合い、体験することとなると思います。
それなら、好きな国に行けばいいじゃないかとなるかも知れませんが、
セレンディピティで、その空間だから出会えた、そして知らなかったけど知ることができた、
そして、その国の人々を身近に感じること、それが「内集団バイアスの壁を壊すこと」
になるのではないかと思うのです。
次回、そのことをもう少し深めて考えてみたいと思います。

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