カメラを誤って洗濯した話ー続き「人はなぜ違和感を放置してしまうのか?」を考える

考える姿のチンパンジー ブログ

前回に引き続き、私のミスからいろんな疑問が湧き出てきたので

それについて考えていくの第2弾です。

今回は

2、人はなぜ違和感を放置してしまうのか?

です。

今回の私はどのような違和感を放置してしまったのかというと、

子供のリュックを洗濯機で洗おうと思い立った。

リュックの中身を確認し、リュックを洗濯機の中に入れ、洗濯機の電源を入れた。

洗濯機がいつものように回り出すが、いつもとは異なる音がした。

「なんかいつもと違うな」、と私自身が一度は立ち止まったにも関わらず、

これはリュックの金具などの音だろうと考えて、洗濯機の中を確認せずに、

放置してしまった。

ということがありました。

変な音という違和感に気がつきながら、放置してしまった。

これが今回の疑問点です。

このような経験は多くの人がやってしまってるのではないでしょうか?

「違和感」に「自分なりの理由」をつけて、違和感を無きものにしてしまうこと。

「2、人はなぜ違和感を放置してしまうのか?」に関する私の仮説

この疑問の私の仮説は、ズバリ

正常性バイアス

というもののためだと思います。

正常性バイアスとは、

自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価したりするという認知の特性のこと、

とあります。(Wikipediaより)

この状態が発生したのだと思います。

今考えても、洗濯機を止めて確認する時間は十分あったし、

そこまでの手間にもならないはずなのに、どうしてそれを放置したのか、

自分自身でもわかりません。

しかしその異音を過小評価したことによって、起こってしまったのでしょう。

「2の疑問」の仮説に関する助っ人AIの考え

今回も前回同様に、自分の考えをAIに聞いてみました。

それを踏まえながら、以下まとめてみようと思います。

助っ人AIは「どうして違和感を放置するか」に関して、

認知バイアスと注意の限界と自動化された行動

という二つの側面から説明してくれました。

認知バイアス(正常性バイアスや確認バイアス)

  • 正常性バイアス: 人は異常事態を過小評価し、「大丈夫だろう」と楽観的に考える傾向があります。あなたのケースでは、洗濯機の異音を「リュックの金具の音」と解釈したのは、日常的な状況を優先的に想定する正常性バイアスの働きかもしれません。
  • 確認バイアス: 人は自分の仮説(例:「金具の音だろう」)を裏付ける情報に注目し、反証する行動(例:洗濯機を止めて確認する)を避けることがあります。これは認知的な省エネの仕組みで、すべての違和感を逐一確認するのは効率が悪いためです。

注意の限界と自動化された行動

  • 注意リソースの制約: 人間の注意は限られています。洗濯という日常的なタスク中、他のことに気を取られていたり、自動的に行動していたりすると、違和感に深く注意を向けることが難しくなります。これは「自動化された行動(automatic processing)」の一環で、習慣的な行動は意識的な検討を省略しがちです。
  • マルチタスクの影響: 複数のタスク(例:洗濯、子どもの世話、日常の雑務)を同時に処理している場合、脳は優先順位をつけ、違和感のような曖昧なシグナルを後回しにすることがあります。

助っ人AIの考えを見た私の感想

先ほど私は、違和感に気がついて、洗濯機を確認する時間もしっかりあったにも関わらず、

確認をしなかったと書きました。

つまり、そんな簡単なことをどうしてしなかったのかと嘆いているのです。

しかしながら、私のそんな簡単なこと、と自らが思っているのにも関わらず、

脳は(自分の意思とは別に)それらを効率が悪いと判断して、後回しにしてしまうのだ

というのです。驚きですよね。二重人格かと思うような現象。

注意リソースの制約という部分においては、最近考えることがありました。

というのは、これらの脳のリソースは歳を重ねるごとに、制約が大きくなっているのではないか

ということです。

つまり、

いろんなことに気が回らなくなっているのではないか、

もしくは

みたくても見ることができなくなっているのではないか

ということです。だからこそ「自動化された行動」というのをしてしまう。

この辺りを非常に気になっていました。だからこそ、今回の件でも、助っ人AIが提案してきたことで、

今回は年齢という観点ではないにしろ、誰にでもそのように脳のリソースの制約があるのだと

いうことは注目する部分でした。

自分自身脳の衰えを感じているので、注意リソースの制約に注意したいところですが、

難しいのかも知れないというジレンマでもあります。

助っ人AIの更なる指摘

助っ人AIが更なる考察として、「そもそも、どうして見逃してしまうのか?」

ということを考えてくれました。

見逃しの背景には、

ヒューリスティック、環境習慣の影響、ストレスと認知負荷ということ

が関係していると言っています。

ヒューリスティック(近道思考)

  • 人は複雑な情報を処理する際、簡略化された判断ルール(ヒューリスティック)に頼ります。あなたのケースでは、「リュックを洗うのは普通のこと」「異音はよくあること」と即座に判断した可能性があります。これにより、カメラの存在を思い出す前に洗濯を続けてしまったのでしょう。

環境と習慣の影響

  • 日常的な環境では、異常を検知する感度が下がります。洗濯機の使用はルーティンであり、普段と異なる音があっても「いつもと大差ない」と脳が解釈しがちです。特に、子育て中の忙しい状況では、細かい確認を省略する傾向が強まります。

ストレスと認知負荷

  • 子育てや家事で認知負荷が高い状態では、脳は余計な情報処理を避けようとします。これにより、違和感を「後で確認すればいい」と後回しにし、見逃すリスクが高まります(Sweller, 1988; Cognitive Load Theory)。

ここでも脳は省エネを実施しているということがわかります。

また、普段と大差ない、つまり脳は昨日と変わらない今日というような安定性を求める傾向がある

のではないかなと感じました。

そして、脳というのは、マルチタスクは実は苦手であるということも言われていますが

やはり実際に脳の中がぐちゃぐちゃしている時は、いろんなことを考えるより、

現状維持や簡単にできることをやってしまうのだなということがわかりました。

まとめると

違和感に気がついても放置してしまうのは、

現状維持を求めて過剰に脳の負荷をかけないことであり、

逆に脳の負荷がある場合は、異常も後回しにして簡単な方へと流れてしまう、

という脳の省エネがもたらす現象であると、私は結論づけました。

だからこそ、一度立ち止まる必要性があるのだろうけれども、それも脳の負荷だから難しいのかな。

もしくは、そもそも異常が起こる手間の段階の対策が必要なのかも知れません。

私の失敗から、いろんなことを考えさせられます。

自分でうまくコントロールできるのかできないのかもよくわからない脳という存在と

うまくやっていく術、(それ自体が自分自身なのですが)、

これまた大変な問題だなと思ったりしました。

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