秋らしくなってきた今日この頃。少し外に出てみたい季節になりました。
そしてそんなお出かけの際のアイテムとして「カメラ」があるのではないかと思います。
今回は子供に使用させていたカメラ。それにまつわるエピソードから、
私が考えた疑問、そして深掘りをしてみたいと思います。
カメラを洗濯した話
これは私の後悔の話。
なぜ、あの時、こうしなかったのか、、、それのオンパレード。
まず簡単にどんなことがあったのかというと、
子どもに使用させていたカメラを、子ども自身が子どもが背負っていたリュック(
サイドのポケット)にしまっていました。そして、カメラ使用した日はその状態で放置。
翌日、私はいつもしないのに、リュックを洗濯しようと思い、カバンの中身を出して、
洗濯機に入れました。子ども二人分と、それから別の袋も洗うために洗濯機に入れてスタートを
押しました。要はいつも洗わないようなリュックに、別の金具がついた鞄を洗ったわけです。
洗濯機はいつものように動いてくれます。中身の重量を測るためか、はじめに何度か回転して、
そこから水が入り始めます。その時に、いつもの洗濯の時にはしない音がしていました。
私はいつも洗わないものだから、金具どうしが当たっているのかなと思って、
違和感には気がついたものの、そのまま洗濯を実行していました。
もうここで理解していただいたと思いますが、そうです、カメラは洗濯されていたのです。
さらにご理解いただけると思いますが、カメラの中のSD
カードもともに共に洗濯されていたのです。
つまり、The end。どちらも綺麗さっぱり洗われていました。
血の気が引くとはこういうこと
私は一気に血の気が引いてしまいました。
そのS Dカードは子どもが撮った写真がたくさんはいっていた。
さらに、まだバックアップが取れていない写真もたくさんあったのに、、、、
そして過去にとっていた写真(おそらくバックアップ済みのはず、だと信じたい)も消えてしまった。
せっかく子どもが必死で撮ったものなのなのにという思い、
そして過去にとっていた写真、思い出もまさに水の泡になってしまったという思い。
はたまた、大事なカメラもダメになってしまった。
これらの喪失により、血の気がさっと引いてしまいました。
後悔が山積み
はじめに話したように、これは後悔の話。
どうして子供にカメラを片付けさせたのか。(私ならカメラをリュックのサイドポケットに入れない)
どうして、帰ってすぐに(カメラがサイドにあることを理解しているうちに)カメラを片付けなかったのか。
どうしていつも洗わないリュックを洗ってしまったのか。
どうしてもっとリュックを洗う前に確認しなかったのか。
どうして洗濯機の音の違和感に気がついていながら、洗濯機を確認をしなかったのか。
どうしてのオンパレード。つまり後悔が山のように積み上がって、今でもどうしてが
何度でも何度でも回転しています。
少し怖い自分もいる、ーいろんな疑問が浮かび上がるー
それと同時に、少し自分の中で怖い考えもあるのです。
ある種の現実逃避なのかもしれませんが、
これだけとった写真、私はもちろん、撮った本にでさえも見返していないのに、
失ったというだけで、どうしてこんなに後悔をしてしまうのか。
そもそも見直していなかったじゃないか、
そこにどんな写真があり、どれだけあったのかも把握できていないものを、
「失った」という言葉だけで、これだけ気持ちを揺るがしているのはなぜなのか。
最終的には、
後悔とはいったい何か?
ということを考えている自分がいるのです。
はたまた、
こうして撮った写真、見直しされない写真、山のようにある写真、これらは一体何か?
おそらく多くの場合、それは「思い出」となるのだろうけれども、
思い出とは一体何なのか?
そしてこんなに無碍にされている写真を、どうして人はこうして写真を撮るのだろうか?
という疑問が湧いてきました。
別の観点からすれば、
どうして人は違和感を感じていても対処しないのだろうか?
私自身大きなものか小さなものでいろんな違和感を感じているのに、行動しないことがあるなと
気軽きました。だとするとどうしてそれは起こってしまうのか。
いろんな疑問が湧き出てきました。
自分の失敗を棚に上げてどういうことなのか、きっと会社などなら激怒案件だとお思いますが。
こんな疑問が湧き出てきたので、次回はその辺りを相棒AIを使用しながら、考えてみたいと思います。
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