夏休みを振り返ってー夏休み憂鬱な親の気持ちを考えるー

スイカのアイス ブログ

長い長い夏休みもうすぐ終わりに差し掛かろうとしています。

正直やっと終わるかという気もしでいます。

小学生の子供がいる我が家では、夏休みが来ることを私自身が苦痛に思っていました。

それも毎年毎年苦痛だなと思っていました。なんでこんなに苦痛なのか、

深く考えたことがなかったのでその理由について分析し、

さらにこの夏子供たちがどのような成長があったのかなかったのかを考えてみようと思います。

夏休みが来ることをどうして私は苦痛に思っているのか

夏休みが来るのをどうして苦痛に思っていたのか、また苦痛でいるのかを羅列してみると、

子供達のお昼ご飯問題とそれらに付随する家事の増加

子供達に宿題をさせなければ習いという強迫観念

子供たちがゲーム、テレビ三昧なってしまうことへの懸念

子供達に何か夏らしいことをした方がいいのではという思い

私自身の一人の時間がなくなることへの懸念

部屋を片付けても片付けても片付かないことへの苛立ち

以上のことが挙げられると思います。

そして以上のことを大きく分けてみると、

家事が増加する事

子供の勉強面と、生活面を考える必要性

自分自身の生活の変化

これらになるのではないかと思います。

もう少し詳しくみてみようと思います。

家事が増加すること

食事を考えなければならない

ズバリ、子供たちの昼ごはんを作らなければならいということです。

本当に学校の給食というシステムには感謝しかありません。

給食の量やメニューの問題などテレビで報じられていたこともありました。

大きな問題のように言われていましたが、

いざ自分が夏休みに入り、子供達の昼ごはんを考えるとなると、

給食があるというだけでどれだけ救われているのかというのが身に染みてきます。

何よりも、我が家の子供が学校に行く楽しみの一つに、やはり給食があります。

学校から帰ってくると、給食のことばかり話しているような気がします。

それだけ子供の心にも楽しみを与える、心の栄養ということになるのだから、

やはり給食さまさまと言っても過言ではないような気がします。

実際に栄養士の方の監修のもとに作られている給食ですから、

栄養という観点においても、ある程度は満たされているのだと思います。

しかし、夏休みに入り、私が昼ごはんを作るとなると、

栄養士の方の監修のような栄養満点のご飯が作れるのか、

また、子供達の楽しみであろう昼ごはんをどのように満足させるものができるのか、

ということが頭痛の種なのです。そしてそれらは、実際はできない、したくないというのが現状です。

やってあげたい、と同時に、やらないといけないという、wantと have toの中に挟まれた時、もしくは、want からhave toへ移行してしまうと、最終的にいはやりたくないという方向に行くのが

世の常と言いますか。

つまり、夏休みを憂鬱なものにしているのです。

家事が増える

こうしてやりたくないの気持ちからやっとこさ作った昼ごはんを食べる。

そしてそこから派生するのは、皿洗いも増えるということになります。

一人で昼ごはんをすれば、適度なものを食べ、一人分のお皿を洗えば済むのですが、

子供たちがいればその人数分増えます。

また夏、プールに行けばその分洗濯物が増える。ちょっと外に行けば汗をかき洗濯物が増える。

お茶を持って行くとなれば、水筒の準備やお茶の準備、

家にいても、お茶を何回飲むねんと突っ込むほど子供が飲むので、

ことあるごとに暑い中お茶を沸かすことになる。

お茶をストックしていた入れ物も空になって放置、つまり私が洗うことになる。

とにかく、いつも以上にやるべきことが増えるのです。

いつになったら、冷房の効いた部屋で座れるねんという気になる。

これもまた夏休みを憂鬱なものにするのです。

子供のことを考える必要性

勉強面

何よりも夏休みといえば、夏休みの宿題です。

これははっきり言って、子供の宿題というよりは、親の宿題、親のミッションです。

トム様もびっくり、インポッシブルではなく、ポッシブルにする、日本の親たち。

(意味不明、失礼しました)

このミッション、親が、どのようにうまく計画をたて、子供のをその気にして、誘導して行くのか、

それが肝になると言っても過言ではありません。この一連の作業が非常に厄介なものです。

一筋縄ではいかないのです。でもそれをポッシブルにしなければならない。

このように書くと、親が必死にならずに放っておくことも大切だというようなことを

思われるかもしれません。私自身できるならそうしたい。

しかしながら、恐ろしいことに、子供よりも私の気持ちがザワザワするのです。

あの宿題がまだ残っているとか、この宿題をしなければ、といつも私の頭の片隅に存在している。

私のリソースの中に入り込んでくるのです。我が家は二人分、尚且つ二人のペースがそれぞれ異なる。

こうなるとそれぞれの進捗を把握しおくだけでも頭のリソースを使ってしまって、

こんなことなら早く終わらせたい。そのような気持ちにさせるのです。

つまり私の宿題があるような気になって落ち落ちしてられないということがひとつ。

また、子供のやる気に合わせて宿題をさせるの一苦労です。

読書感想文とかは、本人の心が反応しなければ書けないもの。

いくら親が言ったところで、その気にならないとできない宿題もあります。

それをいかにそのような気分にさせるか。そしてその気になった時にすぐに親がアプローチできるかが

キーポイントです。そこを逃すと最後、次の波が来るまでそわそわ待ち続けることになる。

だからこそ、親側にもある程のゆとりがないと、これらに付き合うことができないわけです。

子供の宿題だから、子供にさせろというのもごもっともです。

ですが、正直読書感想文なんて書き方を学校で習っていないだろうし、

どのように書いていいのかも実際親の私もなんとなくでやっているわけで、、、

それを子供一人初めて原稿用紙2枚とか書けと言われても無理があるだろうと思います。

だからこそ親の介入が必要になるというわけです。

こうした、いつも使っていないであろう頭の使い方や、子どもとのやりとり、

こうした緻密な計算と行動を、この暑い夏で、夏バテしかかっている親がやらなくてはならない。

これを考えただけで、夏休みの憂鬱が押し寄せてくるのです。

生活面

夏休みは有意義なものにしましょう的な感じがある中で、

実際に子どもたちがしていることといえば、冷房きいた部屋で、テレビにゲーム三昧。

これが大方を占めています。

普段の休日でもそれが行われているのだから、夏休みとなればそれが休み中続く。

これでいいのかと頭を悩ませる私。

だからと言って、昨今のこの気候で外で遊んできなさいともいえず、

昔のように学校のプールが開放されているというようなこともなく、正直子ども遊べる場所もない。

家で本を読んだり、何か物を作ったりしたらと言っても、これもある種の親がやらせたいこと

であって、子供の心には響かないからやらない。こうしたジレンマでまたしても悩ましい日々を

送っている。これも私が夏休みを憂鬱にする理由です。

自分自身の時間がない

少しでも一人で内省する時間が欲しいという私のエゴに違いない、

しかし、やはり四六時中子供のことを考えながら、また子供のあれこれを見てイライラして、

叱ったりすることが多くなる中で、一人になりたくなるのも当然であると思ったり。

子供も大人も程よい距離感であるためにも、ある程度、一人の時間は確保したいもの。

しかしながら、なかなか実現しないのが現実というわけで、、、

これも夏休みが憂鬱な理由なのです。

以上こうして、憂鬱な理由を挙げてみました。

こうして考えてみると、自分自身の辛さ(例えばご飯と作る、家事が増える)も

憂鬱の原因になっているけれども、

それ以上に、子供にとって充実した日々を過ごせるようにしてやりたいができないない、

というような思いの方が、大きくて、それに付随して、自分自身の辛さが増しているのではないのかと

いうことがわかりました。

それだけ学校という場所が、子供たちにとって何かしらの充実感を与える場所だと

私が思っているのかもしれません。それと同時に、学校という何かしら場所があるということが、

これだけ親の気持ちの負担を担ってくれているのだということを改めてしれたような気がします。

では、こうした憂鬱な気持ちを抱えながら、実際この夏をどのように乗り切ったのか、

乗り切れなかったのかなどを次回書いてみようと思います。

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