「生成AIについて考える」ー『学力喪失ー認知科学による回復への道筋ー 今井むつみ』

AI?と書かれたボード ブログ

何回かにわたり、『学力喪失ー認知科学による回復への道筋ー 今井むつみ』という本から、

学力の躓きを考えてきました。

そしてこの本の最終章「生成AIの時代の子どもの学びと教育」という章に生成AIと人間との

違いなどが書かれてありました。

私は以前AIについて考えていたことがあり、人間とAIは何が違うのかということを考えていました。

この頃から見るとAIにも大きな変化が訪れました。それはChatGPTのような生成AIの誕生です。

ChatGPTのような人間とスムーズに会話する存在が出てきたことです。本書にも書かれていましたが、

このAI分野では、言語というのは、なかなか進歩が遅かったようです。というのも言語というのは

多くの知識が必要になるからです。そんな鬼門とされてきた言語の壁がついに破られてたのです。

ここで改めて、人間とは何であるか、人間とAIの違いは何であるのか、今一度自分の中で考え、

自分の中に落とし込んでおく必要があるなと思い書いてみました。

生成AIには苦手分野はないのか?

完璧のように思われる生成AIですが、AIが不得意とするところはないのでしょうか?

本書に書かれていることとして、以下3点が挙げられると思います。

A Iが不得意なこと

・全体を見通して、問題の本質を把握すること

・知識を使うこと

・知識の修正、特にスキーマの修正はしない

全体を見通して、問題の本質を把握すること

まず一つ目として「全体を見通して、問題の本質を把握すること」です。

言い換えると、「解決に至る道筋がひとつに決まらないオープンエンドな問題」です。

このオープンエンドな問題は、人間の大人ならほとんどの人が「正解」できる類推や

アブダクションの課題です。ですが、生成AIはそれらを解くことが難しいようです。

将棋、囲碁のように、相手を打ち負かすという明確なゴールがあり、

そこから確率を弾き出しながら、ゴールを目指す、つまりオープンエンドな問題が得意

であるということになります。

となると、生成AIは情報処理速度が得意であるとも言えると思います。

知識を使うこと

二つ目として、知識を使うことです。つまり「フレーム(枠)問題」です。

生成AIは知識の大量の保存箱です。だから知識は人間がその域到達することができないくらいの知識を

持っています。ですが、AIはそれをいつ、どこで、どのように使うかがわからないのです。

そして知識を組み合わせて新たなものを創造するということも、AI自体が行うということは

今のところしていません、というかできません。

大量の知識の保存箱から、指示されたものに合致するようなものを選び出して出している

に過ぎないのです。

知識の修正、特にスキーマの修正はしない

最後は、知識の修正、特にスキーマの修正はしないということです。

以前のブログで学習の躓きについて書いてきましたが、人間の知識の習得はそもそも生成AI

とは異なります。

人間は自らが探索し、推論し、そして抽象化して知識を自ら得ていきます。

こうして得られた暗黙の知識をスキーマと呼びます。

ですがその際に誤ったスキーマを得てしまうことがある。しかしそれを自ら修正することが

できるのです。

ですが生成AIは大量の知識を人間が与えているけれども、

与えられたことをそのままそっくり蓄えているに過ぎないといってもいいのかもしれません。

人間ができることは

生成AIが苦手とすることを見ていくことで分かったことは、

そのAIが苦手な部分は、つまり人間が得意とするというか人間の持っている能力のようなものです。

・オープンエンド問題を解くための直感

・知識を自ら拡張することができる

・スキーマを修正することができる

ということになると思います。

知識を拡張することができる、スキーマを修正することができるというのは、

先ほどの生成AIの不得意なことの時に説明したことと重複する部分があるので

イメージがつきやすいのではないかと思います。

ですがここで初めて出た「直感」とはどういうことなのでしょうか?

直感の重要性

直感とは、Oxford Lunguagesによると

理性を働かすというより、感覚的にただちにとらえること。

とあります。その感覚的に直ちに捉えることとは、自分のスキーマや信念によって決断をくだす

システム1の思考の働きです。直感というのは、勝手に浮かび上がるものではなく、

経験通し、自分の中でその物事を絶え間なく考え抜くことにより、

大局観的に物事を見通すことができるようになり、そこから醸成していくものなのだと思います。

こうした直感があれば、複雑な問題であったとしても、

何かしらのゴールと進むべく方向性を見出すことができ、

その問題に立ち向かうことができるのです。そして、手探りで進みながらも、

その都度状況を判断し、次の道筋を見つけ出すことができる、

それを判断するのにも直感が必要なのです。

つまり、直感があるからこそ、オープンエンドの問題、答えのない問題にも立ち向かうことができ、

打開できるのです。

私たちが必要なことは

人間は、莫大な情報量を記憶していません。

だけれども「探索し、探究し、推測し、間違いがあれば修正をしながらブートストラップしながら

知識の量や質を向上させていく。知識と知識を拡張させることができる

そうしたことを行い、物事を考え抜くことにより、直感を身につけていくことができる。

そして、その直感を使いながら、新たな問題に立ち向かうことができる。」

これらの行動は人間の「記号接地」であり、これらは人間が本能的に持ち合わせている

といって過言ではないのではないでしょうか?

国際認知科学会の今年のルーメルハート賞を受賞したアリソン・ゴプニック博士の言葉

人間が乳幼児期にすることを一言で表せば、「世界を自分の身体で探索すること」

つまり記号接地なのだと著者は言います。

私たちは乳幼児からそのように自らの体で世界を探索している、世界を知ろうとしている、

謎と対峙しているのです。

また面白いことに、本書に、

乳幼児がしたいのは

「結果がうまく出る方法を見つけること」ではなく、

「なぜこうするとうまくいき、なぜこうするとうまくいかないか」、

つまり物事の仕組みを発見することなのだ p293

と書かれてあります。

確かに、乳幼児は、作ったものを壊し壊しては作りと同じことを何度も行います。

時には私たが想像もしないようなこと、例えば、ティッシュを箱から全部出してしまったり、

棚から全てのものを出してしまったり、これは大人の私たちからすれば、

困ったこととして見てしまいがちです。

ですが、乳幼児はその行動から、物事に仕組みを、世界と繋がろうとしているのです。

そう思えば、乳幼児にもっと大人にとって都合の悪いことをたくさんさせておく必要が

あったのかもしれません。

そして、小学生に上がり、私たちが子どもたちにさせている学びというのは、もしかすると

その逆のことをさせていると側面もあるのかもしれません。

つまり「結果がうまく出る方法を教えている」

そして、物事の仕組みを考えようとする営みは、乳幼児に限らず

全ての人間も同じなのではないでしょうか?

問題を短時間に解決することが目的ではない、そういう生き物ではないのだ p293

と著者もはっきりと書いています。

世界の流れが非常に早い中、大人たちは効率化、時間短縮を求めたがる傾向にあります。

それが、もしかすると「教育」や「学び」といったところにも入り込んでいるのかもしれません。

(それは、私自身にも言えることです。)

ですが、「世界の仕組みを自ら発見すること」つまり世界との記号接地、

それ自体がが生きることの一つの大きな目的、楽しみであるといっていいのだと私は思います。

だとすると、私がすべきことは、

人間が本来持っている人間の記号接地ともいう力を使用し続けること、自分で考えるということ

を忘れずにいたいと思います。それと同時に、子どもたちにもその力を忘れさせないように、

私が余計なことをしない、そして、そのような環境を設置するというようなことをしていきたいなと

思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました