「子供と私が異なる」って当たり前のことだろと思われると思います。
当然そうなのですが、実際のところそれを理解しているでしょうか?
本当の本当の意味で理解しているかと言われればわかっていないのだ
ということを今回は書いてみようと思います。
私たちのバイアス
前回の記事でも書いたように、
勉強苦手な子供の気持ちを理解するために、自分自身も苦手なことに挑戦し、
子供の気持ちを感じ取ろうということを実施しました。
その際に気がついたことを書いてみました。
同じような状況を作り出せば、少しでも子供気持ちに近づけるのではないかと単純に思ったのです。
もちろんある側面では理解できたこと、わかったことがありました。
しかしやはりそれだけでは完全に子供自身のことを理解したことにはなっていませんでした。
この試みをした前提に、私は自分自身にあるバイアスが働いていることに気がついていませんでした。
それは、自分ができることは、相手もできるだろうということを無意識のうちに思っている
ということです。
それがわかったのは、学校の先生の指摘でした。
私と子供が見ている世界は実は異なる
学校の面談で子供が勉学になかなかついていけないことを指摘されました。
そこから右往曲折あって、知能検査を受けることになりました。
そうすると、世間でいうグレーゾーンという領域にあるということがわかりました。
知能検査では何項目かに分かれており、どの部分が弱い部分なのかというのがわかるように
なっていました。
頭では、人の能力というか、見え方というものは異なるということは理解していたつもりでした。
ですが、実際に細かく数値化したり、いろいろなテストをしているのを見ていると、
私が見ている世界、理解している世界、もしくは理解しようとしている世界と、子供が見ている世界、
理解の仕方すら大きく異なっているのだということがわかりました。
私が理解できていなかったのはこの部分でした。
どの部分が弱いのか、苦手なのか、ということは人によって大きく異なり、
それによって見えている世界が異なるのだということです。
だから、いくら訓練を重ねても、その人に合ったやり方でないと、理解できないこともある
ということを理解していなかったのです。
メガネの私、そういうことなのか!
色々と考えていて、私が腑に落ちたというか、これかもしれないと思った例があります。
それは、メガネの私です。私は視力がとても低く、メガネがないと生活できません。
ですがメガネを外していれば、視力が良いか悪いかは他人から見ればわからないでしょう。
さらに私が見えないからゆっくりと行動をとっていれば、視力が良い人から見ると、
もしかすると、なんでこんなにゆっくりなんだ、とかどうしてこんなこともできないのか
とか思われたり、叱られたりするかもしれません。
つまり、見えている人にとっては、見えてない人の世界とは異なる世界を見ている。
そして、見えている人には見えていることが当たり前だから、
メガネをかけていなければ、自分と同じ見える人だと勝手に考え、
自分ができることは他の人も当たり前にできるだろうと思ってしまう。
そういうことなのかもしれません。
だからこそ必要なことは、その人の見えている世界はどんななのか知り、そして、どのようにすれば、
その人が見えて当たり前と思われている世界(今の世界は見えている世界がマジョリティという
意味でいいとか悪いとかではない)でうまく生きていけるのかという環境を整えることかもし得ませ
ん。
知らぬ間に私もしていたこと
子供の状況もこれと同じなのかもしれません。
見た目は他の人と何ら変わらない。だからその見た人の主観で子供を判断される。
私自身、子供をそのように見ていたのだと思います。
知らぬ間にできることがデフォルトになっていた。
でも実際は子供と私の理解の仕方が異なるから、私のやり方では子供は
理解できなかったのかもしれない。
その子に合わせたやり方があるのだということがわかったのです。
先ほどのメガネの例を出すと、視力の悪い私にいくら見る練習をさせても、
そもそも目が悪いのだから、一向に見えるようにはならない。
だとすれば、すべきことは、メガネを準備する、といった環境を整備することなのです。
私ができていなかったことは、環境を整備することなのだということ知ることになりました。
環境を整備するにしても、どのような状況なのかをしらなければできません。
私が視力が悪いからといって、どんなメガネでもいいから渡されても
自分にあったメガネでなければきちんと見ることはできません。
だからこそ、どのような状況なのかを知る必要があるのです。
現状把握ー子供のみている世界を理解する試み
それが子供の受けた知能テストであるのだと思います。
そこでいろんなフィードバックをもらったり、専門の先生とのやりとりで、
子供が苦手としている部分はどこなのかということを指摘してもらったりしています。
また、学校では、合理的配慮、席を前にしてもらう、補助の先生についてもらう、
通級に通う、宿題はできる量に設定してもらうなどいろいろな環境を配慮して
もらうことができました。
家では、先生から教えてもらったことをフィードバックしてもらってできること、
宿題は数問私が解いて解かせる、とか忘れ物をしないように色々と子供と共に確認するなど
できることを行うようにしました。
私の子供の場合は、忘れ物などの不注意、物を見る力が弱い、ワーキングメモリーの働き
少し弱いというようなことがあるのでその辺りを意識しながら生活するようにしています。
子供がどのような世界で生きているのかを、テストという形で見ることによって、
子供が必要なことがわかるのはとても良かったと思います。
闇雲に叱ったり、できないというレッテルを貼るのではなく、どのような部分を改善すれば、
どのような部分を手助けすれば良いのだということがわかってきました。
しかしだからといって、全てがうまくいくわけでもありません。
私自身の状態によって、そのことを忘れるというか、いろいろな状況が重なると、
自分の尺度で物事を見て、叱ったり、注意したりということがあるので、
その辺りは自分の心との戦いでもあります。
みんなそれぞれの異なる世界を生きている
これは自分の子供がグレーゾーンという診断が出たから特別なことではなく、すべての人間にそれぞれの異なる世界を生きている。いろんなできるできない、苦手得意ということがある。その中で見ている世界である。そのことをそれぞれの人が理解しておく必要があると思います。つまり完璧な人はいない。そのことはそれぞれが自覚的であるべきだと思います。
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