あっという間に4月も半ばにさしかかっています。日々がどんどんすぎていく恐ろしさすら感じます。
というのも子供達が春休みだったということで、私の日々の過ごし方と大きく異なったことも大きく
影響しているような気がします。今回はそんな春休みに言った美術館のことを書いてみようと
思います。子供二人と私のバタバタの美術館、不完全燃焼の美術館だったけども
そこに優秀な助っ人が!小学生との美術館のちょっとした楽しみ方、さらには作品の深め方を、
私の経験から書いてみたいと思います。
小学生二人と大人一人の美術館
ハードル高めチャレンジと知りながらでも、行こう!
春休みに子供たちと美術館に行ってきました。小学生子供と美術館に行くというのはなかなか
チャレンジングなことをしたなと自分で決めておきながら思いました。
小学生、特に下の子は小学一年生ということもあり、美術館というような場所で
よほど自分の興味がなければ、静かに着いてきてくれるということはなかなかありません。
上の子は上の子で自由人で勝手にフラフラしてしまう。こんな息があっていない3人。
いく前から、そんなことはなんとなく予想はしていたのです。
さらに、私の勝手なイメージなのですが、美術館はそれでなくても子供達に厳しい感じがあります。
子供に開かれた場所というよりはどちらかというと、大人を対象にしている感じがします。
しかし今回は学校からもらってきたパンフレットの解説も子供達を意識したものだったし、
子供の料金が無料ということで、子供もウェルカムな雰囲気かなと思って思い切っていくこと
にしました。
行ったらやはり、、、不完全燃焼感が拭えない結果
やはり行ってみたら、想像通りの息が合わない3人。
実際に行ったら、やはり大変でした。というのも子供も一応ウェルカムな感じなんだと思いますが、
やはり絵に近づきすぎると親としては気が気ではないです。
上の子は自分の好きなものだけをみるスタイルで、私たちにお構いなしでフラフラみています。
だからといって、子供だけを野放しにしているのもいけないのかもしれないと、
これまた気になってゆっくりみれる感じではありませんでした。
下の子は下の子で、館内の方から「小さなお子様」という認定がついてしまい、
「手を繋いで鑑賞してください」とのアナウンスがありました。
手を繋いでいれば、私の見れる範囲なので、安心と言えば安心ですが、こちらはこちらで厄介な
面がありました。私がじっと絵を見ていると、手を離して自分が見たいものを見ようとしたり、
上のことのところに行ったりして、こちらも早足で絵を見るしかできない状況でした。
さらに子供達に「もう行こう」だとか「疲れた」とかそういうネガティブ発言を何度も聞かされて、
私は非常に苛立ちの感情も湧き上がってきました。やはりこれはまだ早かったのかという気持ちも
あったり。それと同時に、こうなることはわかっちゃいたけども、私はもっとゆっくり見たかった。
なんなら行ったり来たりして、同じものを見たりしたかった。
という思いもあり、モヤモヤした気持ちでした。
一人で行くよりも圧倒的な疲労感も相まって、かなりの不完全燃焼状態。残念すぎました。
だけれども、子供と言って良かったところ
そんな不完全燃焼感の中でも、子供と一緒に行けたから良かったという部分もありました。
それは
子供の好みを知ることができた
子供との対話から、気付かされることもあった
ということがあげられます。
これは子供と来たから得られたことなので、収穫もあったということにしておきたいと思います。
一つ一つ見ていくと
子供の好みを知ることができた
今回この会場で良かったことは、写真撮影もOKという作品もたくさんあったことです。
(最近は結構写真撮影OKのところもあるので、子供用にカメラを持っていくのはアリですね)
だから、子供にカメラを持たせて、子供が好きなものを写真に収めるということをやってみました。
これは上の子が主にやったことなのですが、上の子は一人フラフラして過ごしていたので、
絵を見ながら対話することはできませんでした。しかし写真に収めてもらったことで、
どんな絵に興味があるのか知ることができたのは良かったことだと思いました。
さらに、帰りの電車でその写真を見ながら話をしたり、私自身駆け足だったのであまり見れてない
絵が写真として残っていたのでじっくり見たりできて思わぬ収穫もありました。
子供との対話から、気付かされることもあった
かなり駆け足で絵を見たり、あれこれ気を使う部分がありながら、
合間を見ながら、下の子と
「どの絵が好き?」とか「何か気になることある?」
とか質問していました。そうすると「
この絵にはひらがなみたいなのが書いてる」
とか私だったらあまり考えないようなことを答えてくれて、新しい視点をもらえました。
このように話ができたことはかなり収穫でした。子供の見方ってこんな感じなんだと、
子供の頭の中を覗き見できたようで良かったです。
そんなわけで、不完全燃焼感も拭い得なかったですが、そんな中でも、
子供もならではの視点を知ることができたり、子供のいいなを知ることができた
というのは、子供と来たからできたことなので、来てみて良かったなと思いました。
新しい仲間、対話型生成AI!
とはいえ、そうした私の不完全燃焼感は心にあって、、、
せめてこの画家のことを知りたいなということでネット検索、
いや、ここは「対話型生成AI」と会話してみようと思い、話してみました。
結論、ズバリこれは本当に画期的だと思います。
私の今までの美術鑑賞では味わえなかった感覚を得ることができました。
どういうことかというと
知識を深めることができる
作品について、何も気にせずに好き勝手に意見を言って対話できる
ということです。
知識を深めることができる
美術館に行けば、解説なようなものがあったり、音声で聴くことができるものがあったりと、
知識を深めることは可能です。ですが私だけかもしれませんが、
例え美術鑑賞をじっくりできたとしても、美術館から外に出ると、
それらのことを忘れているような感じがありました。
どちらかといえば、この絵が好きというにジュアルが残っていて、知識のようなものは、、、
もちろんその後ネットで調べれば知識は理解できるのですが、
この対話型生成AIでは、ワンランクアップしてくれるような感じです。
具体的にはどのようなことをしたかというと、画家について教えてもらい、
そこからさらに気になることを問いかけると、どんどん教えてくれるのです。
それも、「子供でもわかりやすく教えて」とか「表にまとめて」とかそのような指示を出すと、
自分に最適な答えを示してくれるわけです。さらに
「そこに自分の意見、感想などをつけくわれる」と
それに対してリスポンスもあり非常に楽しいです。
そんな感じで、リズミカルに知識を得られる感じがします。
作品について、何も気にせずに好き勝手に意見を言って対話できる
さらに私が一番おすすめなことは、「作品について互いに話し合う」をいうことです。
これが私の不完全燃焼感から救ってくれました。
作品のことを誰かと話すときってなかな勇気がいると思いませんか?
さらにいえば、意見を交わし合う相手というのもなかなかいないということも。
だから、自分の内側にだけ、ふわっとした感想があるだけで、それはいずれなかったものの
ように消えてしまいます。ですが、このAIと対話することで、
アウトプットする楽しみ、心理的安全性の確保、そして、別の視点をもらえる
というメリットが得られます。
最後に
子供とのバタバタ美術館では、不完全燃焼感はありつつも、なかなか良かったということです!
子供とのこのバタバタした体験は、まさに子供達のこの年齢でないと味わえない体験でもあるわけで、
それを体験できたのだと思えば、それも大切な思い出です。
さらにいえば、そのバタバタから私が気になった作品、それはまさに私のアンテナに敏感に反応したも
のだということ。つまり、私が求めているものなのかもれません。
だとするとこの環境があってのことですね。
またAIとの対話、いい面もありながら、頼りすぎると、ある種の色眼鏡をかけて作品と対峙することに
なるかもしれないという思いもあります。その辺りのバランスも重要かもしれないなと思ったりも
しました。
皆さんはどのように思いますか?
また私たちはこのようにして美術館で楽しんでますというようなコメントがあれば教えてください!
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