今回ある本を読んで再度このブログを始めたきっかけ、そこから子供のことについて
少し書いてみようかなと思い至りました。
その本は『学力喪失ー認知科学による回復への道筋 今井むつみ』という本です。
この本は『言語の本質』の著者でもある今井むつみさんの本ということで、
『言語の本質』も面白かったので、読んでみることにしました。
『学力喪失』も親である私にはとても興味深いものでした。
この本から学んだことも次回以降書いてみようと思いますが、
この本を読んで学力とは何だろうか、子供がに勉強させることはどういうことか、
子供に大切なことは何だろうかというようなことに発想が広がってきましたので、
そこから少し自分の子供のことについて書いてみようと思います。
このブログを始めるきっかけ
このブログを始めた一つのきっかけとして、
子供が勉強で理解できないことがある、
そのことに関して、どうして理解できないのか、どうしたら理解できるようになるのか、
理解できないとはどういうことなのか、という疑問が湧いてきました。
そこで、どうしたらその子供の気持ちを理解できるのかということを考え、
自分自身も高校の数学などを勉強することで、
(高校の数学は私にとって難しいなと思うレベルだったので)
わからない気持ちを理解しようという試みからスタートしました。
ブログを始めた当初は、数学、プログラミングなど自分が苦手とする、
もしくは理解できていない部分を勉強して、その記録を残していました。
わかったことは
その中で分かったことは、
わからないことをやるということにはエネルギーをかなり消耗すること
わからないものをやり続けることはなかなか辛いということ好き
興味が生まれれば続けていくことができること
これをやることで何がどう変わるのかという変化が見えることでモチベーションが湧く
というようなことが実践してみて分かったことだったように思います。
つまり自分自身に関係のあること、自分に興味があることでなければ、
勉強とはなかなか辛い作業であるということがわかりました。
わからないという前に、もしかするとやる理由がないから、理解しようとしないのかもしれません。
私は今は、数学もプログラミングもやっていません。
理由は別にやりたいことがあるから、やらなければならないことがあるから、
つまり、数学にもプログラミングにもそれほどの情熱がないからということに尽きると思います。
だとするならば、私が子供に強く勉強を強制することが良いことではないように思いました。
だけれども
だから、子供たち自身で何かしら必要性を感じてくれるのを待ってあげたいと思う反面、
学校の勉強は待ってくれるわけでありません。学校のペースで勉強をしなければならないという
制約もあります。
それに、小学校の勉強は生きていく上での基本、
これから自分がやりたいことができた時の土台となるものだから、
やはりできていなければならないのではないかということも思ったりします。
私のような大人の学びであれば、やりたければやって、興味がなければ辞めてしまうこともできます。
ですが、小学生ではそうすることは難しいです。
違う視点で見てみる
では別の考えを取り入れるために、学校の在り方、学校の変革などを調べたり勉強しました。
その中で、
学校教育150年間大きく変わっていない
そもそもその教育プログラムは工業化に合わせた教育プログラムであること
だからこそ、今の時代には合っていないのではないかということ
海外では、教育を選べるということ
などを知りました。
そして今の時代は、昔よりも圧倒的に速いスピードで変化している時代で、
今勉強していることが明日には古くなっている、もしくは間違っていることだって
起こる時代なのだと知りました。
だとするならば、私たちが受けてきた勉強スタイルを今の子供達に当てはめることの危険性に
気がつき、私が子供たちに身につけておいてほしい力は何かを考える必要があるようにも思いました。
もちろん、算数や国語といった普遍的に変わらないものもあります。だからその辺りの基本的なものを
押えることは大切だけれども、学校で学ぶべきことを全て理解させる必要もないのだろも思うようにな
りました。
今わかっていること
とはいえ、今自分が子供達に持って欲しいのは自分が好きな物を見つけることです。
自分自身が興味があること、知りたいと思うことがあれば、それが原動力になって動き出すのだ
ということは、自分がやってみてわかったことです。
だとするならば、これだけたくさんのものが溢れている世の中で
自分が一体何が好きなのか、
何に興味があるのか、心が震えるようなことを見つける、
得ることをできるような機会を設けること、
もしくはそれを見つけたときに、自分ができることをやってあげることが
何かしら成長するのではないのかと感じました。
それと同時に、今回苦手なものをやってみてわかったことがあります。
それは私と子供が異なるということです。
当たり前のことといえばそうですが、その異なることをきちんと理解したような気がします。
ですので次回は、「異なることをきちんと理解する必要性」について書いてみようと思います。
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