「となりのイスラム 内藤正典」を読んで学んだことー仏教とも通じるとこがある

「となりのイスラム 内藤正典」をよんで学んだことということで、書いていましたが、

今回で最後になります。

イスラム教だとか、仏教だとか、いろいろな思想がある中で、

本質の部分ではなんだか似ている部分もあるのではないのか

ということを感じました。

そして、それと同時に、今まで遠く感じていた「イスラム」というものもこうして学んでみることで、

実はそれほど遠いものではないのかも知れないということも学べた気がします。

では具体的にはどのような部分が、イスラム教がどうして仏教と通じているのか

ということを書いてみようと思います。

仏教と通ずる部分 受け入れるという姿勢

まず一つ目は、「受け入れる」というところです。

受け入れかたや考え方は、イスラム教と仏教では異なるように感じますが

「受け入れる」という考え方はどちらも共通していると感じます。

イスラム教の「受け入れる」

イスラム教では、「定めを受け入れる」という考え方があるようです。

本書には以下のように書かれてあります。

神の領分を侵してはならない。つまり、人間が生み出した技術によって全てができるとは思っていないということです。ここから先は神の領分だから自分たち人間が手を触れるべきではない、という了解が成り立つ。それがイスラムの特徴です。

と書かれてあります。

イスラムでは「唯一絶対の神、アッラーに従う」。それが絶対です。

だからこそ、戒律を守るのです。そのように、絶対の神が何かを起こしたこと、

それは神の領域だから、それを「定め」を受け入れるということだと思います。

全ての責任を神様に丸投げしているような感じもしますが、

これで多くの人も救われるような気もします。

仏教の「受け入れる」

ここで、なぜ仏教がでてきたのか?という疑問が湧き上がるかも知れません。

それは私が以前に行っていた、「感情コントロールプロジェクト」で読んだ本の中に

仏教に関する本があったからです。

その時の内容を思い出した時に、確か仏教にも「受け入れる」という言葉が何度か出てきた記憶があり

ました。

その時に、私が理解した仏教の教えは、

ブッタが言うには「生きることは苦である」、

それは外的な要因よりも自分の内側に起因する。

外的なものは、ただ起こったこと。

それを湧き上がる思考や感情にとらわれることなく、

ありのままを見て受け入れる、

それが、悩みや苦しみから逃れることができる

です。

つまり、まずはすぐに物事に反応するのではなく、受け入れ、見てみること

で心のおだやかさが保たれるのだと言うことだと思います。

「受け入れる」ことで心の平安を保つ

このように、イスラム教と仏教では、「受け入れる」ということのアプローチ自体は異なります。

ですが、本質の部分では、

人間がなんでもできるという考え方ではなく、自分たちの考えを超えるようなことが起こったら、

それはそうだと受け入れて、そこから湧き上がる人間の悩み苦しみから解き放とうよ

ということが似ているのではないかと思います。

つまり、「受け入れる」ということが、人々の心を平安に保つということ。

それはイスラム教でも仏教でも共通だと思いました。

仏教と通ずる部分 「高い視座を持つこと」

先ほどの書きましたが、イスラム教は「唯一絶対の神、アッラーに従う」というのが絶対です。

これは、神という目線から、自分を律していくようなイメージだと思います。

自分とは異なる、絶対のものから見た視点で自分を見ている感じがします。

一方、仏教の考え方で、「自己」と「自我」というものがあるようです。

「自己」とは生きている本来の私たち自身、

「自我」とは頭がつくった思考や感情で悩んでいる私たち自身という意味です。

私たちは、まず「自己」というものがあり、その中に「自我」があるのです。

ですが時として「自我」の方が「自己」だと勘違いしてしまうことがある。

だからこそ、ありのままを見る必要があるということから、

「瞑想」などで「自己」を意識するのだと思います。

仏教で行う「瞑想」は、

「自我」だらけになって視野が狭くなってしまった状態から、

「自己」という本来の私たちに戻るために、もしくは「自我」を見つめ直すための行為だと思います。

つまり、自分を俯瞰的に見る、解像度の高い目を持つというようなことがあると思います。

このように考えるとこれも、イスラム教と通じている考え方ではないでしょうか?

アプローチの仕方は異なりますが、本質としては、「自分」(仏教でいう「自己」)を律する、

または見つめるためには、視座を高くして、自分を俯瞰的にみる必要があるということになるように

思います。

まとめ

私が本書を読んで、過去読んだ仏教の本と繋げ、思いついた考えを書いてみました。

こじつけのように感じる部分があったかも知れませんし、私の知識不足で間違ったことを

記載しているかも知れません。

私は、イスラム教のことを少ししか知らず、どちらかというとネガティブなイメージばかりが

先行していました。ですが、こうして考えてみると、共通点があることで、気持ちが近くなったように

も感じます。そして、人々の根本の想いとして「平穏に暮らしてい期待」というようなものを感じ取れ

たように思います。同じ共通の思いがあるのなら、それを共に理解し、生かしていく、ということにつ

ながればいいなとも思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました