前回に引き続き「自分とか、ないから。しんめいP著」を読んで学んだことを書いてみようと思います。
今回は「この世はフィクション 空」ということについて書いてみようと思います。
この世はフィクションってどういうこと?!
「この世はフィクション 空」の龍樹
さて、この衝撃的なことを考えたのはどんな人かというと「龍樹」という方だそうです。
この方も、ブッタ同様にインドの人だそうです。
この人の人生はなかなかです。実際本書を読んでもらうと、わかりやすく尚且つ、
軽快に書かれていますのですそちらを読んでもらうとして、
龍樹は、ブッタが亡くなってから700年の間、複雑になった仏教の教えををたった一文字
「空」としてしまったのです!
びっくりしてしまいますが、そのことにより、シンプルになりわかりやすくなったのです。
その教え「空」とはなにか。それはこの世はフィクションであるということです。
びっくりな教えではないでしょうか?
本書から引用すると
「この世の全ては、ただの心であって、
あたかも幻のすがたのように存在している。
『大乗についての二十詞句篇』18
「この世はことばの虚構から生じている
『宝行王正論』1-50
とあります。
私たちが作り出したものは、「言葉」から生まれた。
というようなことなのかなと解釈しました。
例えば、お金。これらは私たちが価値があるとみんなが思っているから価値のあるものですが、
もし時が変わってしまったら、
もし自分が火星で暮らすことになってしまったら、
お金という虚構の価値がなくなって、もはやこれはただの「紙」ということになるので
はないでしょうか。
本書には他にもいろいろの面白い例がありました。それを読めば読むほど確かにと思ってしまいます。
私自身が、ふと思った「この世はフィクション」があります。
それは、仕事です。私は接客業をしていたことがありました。
その際に、従業員という立場で働いているときは、お客様に酷い対応をされても「申し訳ありません」
といって、頭を下げる必要がある。または上司に横柄な態度を取られても、大きな態度は取れない。
でも私が従業員をいう立場ではなくなって、お客になってしまったら、
横柄の態度の上司も「いらっしゃいませ」といって頭を下げてくる。
(ちなみに私はたとえお客様になったからといって、横柄な態度はとりません)
この光景不思議だなと。まさに自分たちが、作り出したフィクションだなと。
お客様、上司、従業員という言葉によって生み出された世界だなと。
そんなふうにして私たちは、自分たちで何かを作り出して、あたかもそのものが存在しているよう
にしているが、そんなものはなく「空」なのだ。
そして全てが「空」になってしまったその果ては何かというと、
「縁起」といって全てが繋がってということになるそうです。
そして全て繋がっているから、その縁から、いろんなことが変化していく。
だからこそ、自分の本質は存在しない。常に変化しているということになるそうです。
このように考えていくと、悩みというものは存在しないというのです。
悩みというものは、一人では起こらない。何かしら周りと比較したり、変わらないと思う自分
から生まれていくるもの、だけど、そのような考えはないのだと。
そのような前提こそが間違っているのだと。何かしら勇気をもらえるような気がします。
「空」「フィクション」だと聞くと、実態がなく不安にも感じてしまいます。
ですが、その内容を突き詰めていくと、「空」であるから「縁起」という繋がりを感じられる。
前向きな気持ちをもらえるようなことだと思います。
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