はじめに。文章を短く書いていきます。というお知らせ。
少し投稿が空いてしまいました。
時間が空くと、だんだん書くことのハードルが上がってしまうものです。
ですので、今回から少し文章を短めに、まとめるというよりは、自分のアウトプットの練習帳
のようにブログを書いてみようと思います。
「自分とか、ないから」って衝撃的じゃない?!
「自分とかないから」ってなんだか心に引っかかる言葉だと思いませんか。
私自身を振り返ってみると、「私」というものを知らぬ間に意識し、
「私」というものにある種苦しめられていたようにも思います。
だからこそ、この題名を見たとき、「どういうこと?!」と強く心に引っかかったのだと思います。
そして、何かしら引っ掛かりを覚えたら、それはまさに自分が何かしら注目していること。
だからこそ今回、この本を読むことにしました。
確かに読めばわかる「自分なんてない」「この世はフィクション」
本を読んだ感想をざっくりと書くと、「自分なんて、ない」なんて衝撃的な言葉!
でも実際に読んでみれば、確かにという納得感を感じました。
さらに、本の題名に「東洋哲学」と書いてあります。
東洋哲学と言われると、堅苦しいものと思いきや、本書はとてもわかりやすいし、
著者の生活と合わせて具体的な例もあげられているので非常に読みやすく、
イメージしながら学ぶことができたと思います。
「自分なんてない」のブッタ
「自分なんてない」という哲学を提唱したのは、ブッタです。
本書を引用すると
「自分」の体は、食べたもの、つまり「自分以外」のものからできているのだ。
とあります。実際に考えてみると、そうだなと納得がいきます。
もっとミクロな視点で見れば、人間が原子の塊なわけで、それらが絶え間なく動き変化している。
視点を変えてみれば、細胞は常に変化しています。
骨にいったっては、若い人であれば3年で全て入れ替わってしまうということです。
だとすれば、「自分」と思っているこの肉体は、固定化した「自分」なのだろうかと、不思議です。
ならば、自分の思考や感情というものは、自分が生み出しているのではないか。
それが、「自分」ではないかと考えましたが、
本書によると
「思考」さえ、自然現象のようなものである。「思考」だけでなく、「感情」も同じである。
「感情」も「わきあがってきている」のだ。
とあります。
ならば、「自分」でいろんなことを考えていると思い込んでいるけれども、
その「思考」「感情」でさえ、ただわきあがってくるもの。
だとすると、「自分」とはなんだろう。
確かに「自分」ってないな。と納得してしまいます。
次に続く
では次は、「この世はフィクション」という衝撃的なことについて書いてみたいと思います。
コメント