前回、前々回と引き続き、エンパシーに関して書いてみようと思います。
前回、エンパシーは、自分をフラットな状態にし、他者のことを考えてみる、
本書の言葉で言うと、「一旦自分の靴を脱いで、他者の靴を履いてみる」ということです。
ですが、その他者のことを考え、全てを受け入れてばかりでは自己を失うと言うことになる
ということでした。
つまり、ブレイディみかこさんの言葉を引用すると、
「他者の靴を履いて、自分の靴を見失ったら元も子もないのである。」
ということです。
それでは、どうすればいいのか?
それは「アナーキエンパシー」と言う考え方です。
どんなことなのでしょうか?
アナーキーとは
そもそもアナーキーとはどんなことなのでしょうか?
アナーキーとは無政府・無秩序な状態であること、国語辞典(小学館)に書かれてあります。
一見すると、エンパシーとは離れているような気もします。
また、無秩序な状態というと、何か混沌としているような、荒れているような感じも受けます。
ですが、本書では、アナキズムのことを「わたしがわたし自身を生きる」というような形容していま
す。そこからは、何か前向きな感じを受けます。さらに、本書では、エンパシーの達人とともにアナキ
ストとして生きた人として、「金子文子」について書いてあります。
その文章を読んでいると、アナーキーという言葉の私の勝手なマイナスなイメージとは異なるもので
た。無政府つまり、どこかの政府に所属するのではなく、「self-governed(自らが自らを統治する)」。
しっかりとした自分の脚で立って、自律しているようなそんな感じを受けました。
「self-governed(自らが自らを統治する)」であるには、秩序を疑う必要があるともいます。
金子文子はどこにも所属せずに、自由になることができるからこそ、他者の靴も自由に履け、
自分の世界を広げていくことができたのだと言います。
こうして見てみると、アナーキーとは、「self-governed(自らが自らを統治する)」で、
自由な広がりを持つものだと感じました。それと同時に、そのような姿勢にの中には、
秩序を疑う、つまりクリティカルシンキング(批判的思考)も必要だと感じました。
アナーキーとエンパシーの繋がり
アナーキーの心がエンパシーとどうつながるのか?
それは前回のエンパシーは、自分を失ってしまう、そして、強い影響力を持つものに影響さてしまうと
いう危険性があると言うことでした。そこには自分軸と言うものが必要ではと私は考えました。
本書では、「アナーキー」な心、つまり「self-governed(自らが自らを統治する)」と言う気持ちは
常に持つことが必要だと書かれてあります。
本書では
金子文子は、自分の靴をスッと脱ぐことができるが、彼女の靴はいま脱いだ自分の靴でしかな
いことを確固として知っている。こう言う人は、自分が履く靴は必ず自分自身で決定し、どんな
他者にもそれを強制させない。
とあります。
アナーキーであるからこそ、自由であり、だからこそ、エンパシーの力つまり他者をも受け入れ
ることができる。自由であると言うことは、他者が決めるのではく、自分で決めなければなら
ない。こうした関係から、アナーキーはエンパシーと繋がっているのだ
と、本書では書かれてあります。
自由であるからこそ他人を受け入れることができるということ、これには納得できます。
これこそが大事な考えなのかもしれません。
私が培っていかねばならないのは
今回、本書を読んでみて、私が得たいと思っていたスキル「エンパシー」ですが、
それだけを得ようとしてもバランスが欠けてしまうのかもしれないなと思いました。
そこに必要なことは、「self-governed(自らが自らを統治する)」という力も必要だということです。
「self-governed(自らが自らを統治する)」というと何か大きなもののように感じますが、
「自分の軸で生きていくこと」をいう言葉に直すことができるのかもしれません。
そうした生き方をしようとする中で、私が培っていく必要があるかなと思うものは、
自由であること、そしてそこには利己的である必要もある。
クリティカルシンキング(批判的思考)を持つこと。
ということになるなと感じました。
まずは自分というものの土台ができて、他者を理解、受容(つまりエンパシーであり利他的)できるの
かもしれません。自分軸ということも意識しながら、エンパシー力を培っていきたいと思いました。
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