他者の靴を履く ブレイディみかこ』を読んで驚いたことを書いてみるの第二回目

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前回に引き続きエンパシーについて書いてみようと思います。

私が必要だなと思っている「エンパシー」という力です。

「エンパシー」という力があれば、

他者のことを考える、想像すること、そしてそこから色々な行動を起こすことによって、

視野が広がり、自分にとっても、相手にとっても相互にいい状態を保てるのではないか

ということを考えています。だからこそ、そのスキルを自分に取り入れたいと思っています。

ですが、そんな「エンパシー」にも、ある力が不足していると危険性があるかもしれない

いうことが書かれていました。私はそのことに驚きました。

その力とは何かをこれから書いてみようと思います。

エンパシーもある力が不足していると危険な考え方になる可能性もあるということ

エンパシーの危険性?!とは

エンパシーの危険性とは、少し強い言葉にも聞こえます。ではその危険性とは何か。

本書では、エンパシーに懐疑的な見解を示しているポール・ブルームとブライトハウプト

について書いてあります。

ポール・ブルームは、視界を狭め、客観的に物事を見ることができなくするものとして

エンパシーを否定しています。

ブライトハウプトに関しては

エンパシーはその能力を用いる人の「自己の喪失」に繋がる

というふうに批判しました。

ブライトハウプトがその根拠として挙げているのは『善悪の彼岸』(中山元訳、光文社古典新訳文庫)

の「207 中身のない人間」におけるニーチェの言葉からでした。

ニーチェは、他者を観察する能力のある人を「客観的な人間」とし、

そのような人は、他者を観察するために、一旦自分をフラットな状態つまり「自己を失う」こと

を必要とする。それ自体が大きな問題であるというようなことを書いているようです。

そこから、ブライトハウプトは、ニーチェがいっている「客観的な人間」は

エンパシーに長けている人に等しいとして、

フラットに物事を見るために自分を捨ててしまうので、自我がなくなる。

だから危険であると否定しているようです。

つまりエンパシーを働かせることで、物事の視野が狭くなるという危険性と、

自我がなくなってしまうのではないかという危険性があるということなのです。

ある力の不足とは

では、危険性はわかったように思いますが、

はじめに書いた「ある力が不足していると危険性があるかもしれない」の

ある力の不足とは何かと、私が思うに、「自分軸」ということになるのではないかと思っています。

コグニティブエンパシーを働かせるためには、一度自分をなくし、フラットにすることが必要だが、

そこで自我がなくなることが問題だとあります。ですが、フラットにする、自分の意見を入れずに物事

を見るという行為には私は何も問題がないように思います。

むしろフラットな状態のまま自我を失い、相手の意のままにあるという状態に何かしらの問題が

あるように思います。その意見を俯瞰してみるというか、批判的にみるというか、一度自分の中で咀嚼

して考えること、そうした自分軸を持つ必要性があるのだと思います。

また、本書では別の面でエンパシーを働くことで自己を無くしてしまう例をあげています。

エンパシーをする対象である強烈な自己との比較によって、

自分の自我のなさを感じてどんどん無私になっていくのだとブライトハウプトは主張する。

とあります。その具体的な例として挙げられていのが、

ストックホルム症候群、「友vs敵」の構図の強化からテロリズム、個人を組織に従属させる

ツールにもなると書かれてあります。

その例の共通点といえば、やはり「無私」であるわけです。自分を失っているということ。

ここがポイントだと思います。自分軸を持つことで、自分が失われることを阻止することができるのかもしれません。

エンパシーという力は、決して自分の気持ちを押し殺したり、無くしたりすることではないということ

を意識的に持っておく必要があると感じました。色眼鏡をかけずに、物事を見るつまりメタ認知すると

いうこと、そして、そこから自分の考えを加えたり、自分の考えを引き算したりすることで自分の考え

を導くことが大切なのかなと思います。誰かに自分を受け渡すこと、

つまりそれは本書で言うところの、

「他者の靴を履いて、自分の靴を見失ったら元も子もないのである。」

と言うことになるのだと思います。

自分自身を持つことと利己

ここでエンパシーを持つことにおいて、大切な心えとして、「自分軸」の必要性を先ほど書きました。

他者に自分を受け渡すのではないということも書きました。

それと同時にもう一つ必要なことがあります。それは「利己」と言う考え方です。

エンパシーのことを読むと、なんとなく人の立場に立って考えること、

それは何か自分から他者に発せられる行為であり、「利他」の要素があるようにも感じます。

ですが、実はエンパシーは「利己」でもあるのです。

本書には、ブライトハウプスの主張として、

エンパシーは、それを使う本人の審美眼や洞察力を高める上で役に立つ能力

と書かれてあります。またブライトハウプスの主張で

エンパシーは必ずしも他者理解のためだけの能力ではなく、自己理解にこそ有益ではないか

ということも書かれています。

そして、利己的であることと利他的であることは相反するものではないということも

書かれてあります。自分の能力を広げるためのエンパシーが、結果的には他者を思いやることに

つながる。だからこそ利己と利他は共にあるのもだと思います。

そう思うと、自分自身を持つこと、利己であるということを頭においておくことも

大切な要素のような気がします。

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