子供が少し自分たちでいろいろなことができ始めてから、私はバイトに行くようになりました。
数年間の間に、数個のバイトをしましたが、私がずっと感じてきた違和感があります。
今回はそのことについて書いてみようと思います。
みんなが同じようにできて当然というバイアス
「どうしてあの人は、あれだけしかできなのか」
「あの人はいつも同じことばかりして、この仕事はしてくれないのか」
「どうしてこんなこともできないのか」
など、バイト、パートの人の不満として私がよく聞いた言葉です。
もう少し別の形で、遠回しに、私自身も「仕事ができない」というような二アンスを
言われたことがあります。
この言葉の背景としてあるのは、
「すべてのことをすべての人(バイト、パート)が、同じようにできなければならない」
というようなことがあるのではないかと思います。
このようなどこにも表記されていない、そして社員の方からも言われていない前提が
どの場所でもあるということ、これにも違和感を感じました。
ただし、ここで断りを入れておきますが、
給料に見合った決められた仕事をする、
できるように自分なりに努力するということは最低限必要だとは思っています。
ですが、その最低限のことをできている中、もしくは社員の方が良しとしているのであれば、
「皆が同じようにできて当然」というようなバイアスのようなものに対して、
私は大変違和感を感じます。
そもそも、そのようにみんなが同じようにできなければならないというようなことには、
人間を機械としてしかみていないのではないかというような気さえしてしまいます。
このバイアスのようなものは、多くの場合、あるエキスパートのようなバイト、パートさんと
同じようにできることを推奨され、できていない人がいれば、その人に対する何かしらの
不平不満が述べられるというような形です。ひどい場合には、休み頻度や時間に関しても、
「みんなが頑張っているのにあの人は」とか「子育て終えたら時間があるのだからこの時間も
入れるのでは」などというようなプライベートなあり方まで一律を求めているような方も
おられました。やはりこの一律精神とでもいうか、皆が同じようにあれというようなものには
違和感を感じざる得ません。
どうして一律精神になってしまうのか?
このような一律精神のような考え方は、私が働いたどのバイトに行ってもあることでした。
(バイト数としては、4つだったと思います)
業種としては、コンビニエンスストアとか飲食関係です。
共に働いている方がおそらく50代以降の方が多かったです。
体験しているバイト数、業種も少なく、偏りのある分析になりますが、
どうしてこうした一律精神が蔓延っているのかの仮説ですが、
50代以降の方が多いというところから導き出したのですが、
生きてきた時代背景や教育環境
があるのではないかと思います。
その方が生きてきた時代背景に、みんなが同じであること、できない人は努力してなんとしろ、
というような精神性を強く刺激するような教育体制だった時代なのかもしれません。
今のような「多様性」ということはなかったと思うのです。だから自分とは異なる人がいるということ
をあまり意識しなくてもいい時代だったのかもしれません。
また、努力、精神論のようないわゆるスポ根のようなことも激しかったように思います。
そうなると、皆と同じようにできないのは、努力不足で、努力するればできるのだ
というような発想になりがちなのかもしれません。
私が思っていること「できることをできる人に」
具体的な解決として、
「できることをできる人に」
ということだと思います。大切なのは、個人の云々ではなく「皆でミッションをこなすこと」
だと思います。決められた業務をこなすことが多いバイト、パートという仕事においてはそれが
大切だと思います。そのためには「できることをできる人が」ということだと思います。
もちろん、戦力として未熟な人は、もちろん自分なりの努力を積む必要はあると思います。
それはやはり対価をもらっているので必要最低限のことはする。が前提だと思います。
「できることをできる人が」という考えの背景には
人はそれぞれ違うスキーマ(バックグランド、経歴など)を持っている。
いろいろなものが異なるのだから、皆が同じようにできるようになることが
不可能ではないかと思うのです。
自戒を込めて「エンパシー」そして「バイアスに気がつけ」
今回は、バイトのあり方で色々と考えてみましたが、時代背景ももちろんですが、
人間の中に「バイアス」が備わっていることを自覚し、「バイアス」で判断していないかを
考える必要があるなと思いました。
そしてやはりここでも、エンパシーが必要だと思いました。
その人が何ができ何ができないのか。私は何ができて何ができないのか。
その力をうまく組み合わせていくにはどうしたらいいのか。
という客観的な視点を持ちながら、相手の立場に立って物事を考えていくことの必要性。
改めて感じました。
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