先日、私は一人で歩いていました。
そうすると、溝の方からスズメの鳴き声が聞こえてきました。
本当にいるのかなと見てみると、少し小さめのスズメが一羽いました。
じっと見つめていたけれど、一向に飛ぶ気配はありません。
どうやらこのスズメは飛べない、もしくは飛ばないつもりのようです。
私の頭の中で思ったことは、
このままだともしかすると猫に食べられてしまうかもしれない。
溝に水が溜まったら流れてしまうかもしれない。
ということでした。どうにかしてあげたいけれども、どうにもしてあげられない。
なんとも言えない気持ちでその場をさりました。
同じ日、子供の習い事の送迎の帰り、再び気になったので子供達とその溝を見てみると、
まだスズメが鳴いていました。スズメはまだそこにいるのです。
3人もの人が見つめたため、驚いたのか、スズメは飛ぶことはしないけれども
走って少し離れたところに走って行きました。走れるけれど飛べない。まだ溝の中。
子供達も心配そうに、見つめていました。
「どうしてここにいるんだろうね」
「飛べないのかな」
「このままここに住むつもりかな」
「溝だと危ないから、どこか別の場所に移動させてあげたらどうだろう」
子供達なりにいろんなことを話していました。
「これは野生の鳥だから、人間が手を貸すことはできないのだよ。」と私は伝えました。
でにやはりこのままでは忍びなく、
ネットで同様の出来事の対処や質問があるか確認したら、
同様のケースがあり、その場合の対処法が書かれてありました。
「もしかしたら、親のスズメがどこにいて見ている可能性があります。
人間がいたら、近寄れないので離れてください。」
とのこと。なるほどなるほどと、子供にこのことを説明して3人で帰路につきました。
家に着くと、下の子がこの時のことを絵に描いていました。
下の子はあまり絵を描くのが好きではないのですが、自ら絵を描いていました。
何かその機動力になるものがあったのかもしれません。
なんでもないことからの気づき
なんでもない日常のことで、私が感じたことがあります。
それは、
同じものを見て、3人でいろんな思いを共有させたこの時間の尊さ。
その尊い時間を導いてくれた小さなスズメの存在。
小さなスズメが、人の心に何かしらの発火を起こしたということ。
これから子供たちも、このスズメのように巣立ちをし、同じ時間を共有することが
少なくなるのかもと思うと、この時間、ましては、人と時間や気持ちを共有することの
尊さを感じさせられました。
そして、そんな時間をくれるきっかけになったスズメ。
さらに、下の子の心に何かしら火を灯してくれたスズメ。
小さな存在で、もしかしたら二度とみることもなかったかもしれない存在。
だけれども、どんなもの、人、ことにも意味がある。
そんなことを感じさせてくれた時間でした。
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