前回から、コミュニケーションについて考えています。
その中で私が思ったことは
コミュニケーションを音楽に例えると、双方が別のジャンルの音楽を奏でているからではないか?
という仮説が立ちました。
互いに何かしら会話をしているのに、どうも噛み合わない、どうもしっくりこない、
話し合った後、何かすっきりしないものを感じる。
それは互いに、別の音楽を鳴らし続けているから、うまくハーモニーとして
成立しないから、気持ちがしっくりこないのではないか?
そのように感じるのではないかと思ったのです。
今の例えを具体的に
ではもう少し具体的に書いてみようと思います。
ここでの前提は、互いの音楽のジャンルに歩み寄ることなく独自に考えた場合です。
まず初めに、音楽がうまくハーモニーを奏でる場合を考えてみます。
話す相手も私も共に同じクラシックを奏でているとする。
クラシックでも別の曲なら違和感があるかもしれないけれども、
何となく重なる部分が多いような気がします。
ハーモニーを奏でようと思えば、きっと最後には素敵なクラシック音楽を奏でたというような
気分になると想像します。
次に、音楽がうまくハーモニーを奏でにくいのではという場合を考えてみます。
相手がクラシックを、一方私はロックを奏でているとします。
その二人が、ハーモニーを奏でようとしても、ジャンルが異なっていておそらくですが、
うまくハーモニーを奏でるのは難しいのではないかと考えます。
それでも解決策はある
では、ジャンルが異なるともうお互いのコミュニケーションを不可能かと言えば、
答えは「いいえ」となります。
その解決策として、以下をご覧ください。
ここからわかることは、どちらのジャンルも一つの曲を土台にしながら、
そこから互いの音楽の良さ、似ている部分などをうまく融合させることで、
一つの音楽を作り上げています。
互いにそのジャンルのをただただ鳴らしているだけでは、
上の音楽のように融合することはできないと思います。
だからこそ、
互いがその音楽とうまく融合しようとすること
そして
どうすればジャンルとうまく融合できるのか考えること
が必要なのだろうと感じました。
つまりコミュニケーションがうまくいってないとモヤモヤしていた状態は音楽で言うと
互いのジャンルのことを知らない、
互いのジャンルのことを知ろうともしない状態
お互い平行線のままで、音楽がただただ混ざった状態
互いに共にいい音楽を奏でようと思うのだけど、なかなか噛み合わない状態
というイメージになると思います。だからこそその部分と真逆のことをすればいいのだと思います。
最後にまとめると
コミュニケーションでうまくいかないのは、音楽で例えるならば、ジャンルの異なる音楽を
互いに一方的に奏で続けているような状態、もしくは、互いはうまく噛み合わない状態
であるのではないかということです。
ここから学んだことは、
前提として、互いにコミュニケーションを行おうという意思があり、
互いに歩み寄るということ
互いに互いのジャンルに関して知らないことが多く、
自分のジャンルと大きく異なる部分があるので互いを知ること
だと思います。
最後に、コミュニケーションがうまくいかないなと思ってしまっても、
これは互いが作り上げていくものなのだから、そのように思うこともないのかもしれない
とも改めて思いました。
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