習字がなかなかうまく上達しないーそこからわかったこと2点ー

チャレンジ報告

私は上の子供と習字を習っています。習い始めて2年目という感じです。

同じ教室で同じ時間に通う感じです。

習字は子供の時に習っていましたが、自分の中で何かが違っていたようで、

自ら先生に辞めると言って、親にも相談なく辞めてしまう感じだったと記憶しています。

そんな私がなぜ大人になって始めようと思ったのかというと、

何か集中する時間が欲しかった

字を綺麗に書いてみたかった

という理由で始めました。

不思議なもので、大人になってくると自分の好きや心地よいが変わってくることもあるのだと

実感しました。

ではなぜ、同じ教室で同じ時間に通うかというと、

子供の様子を感じながら何かをしてみたかった

子供と通うことで、時間の短縮になる(送り迎えの待ち時間とか労力を減らすため)

子供と二人ならば、お互いに続けることができるかもしれない

というそんな理由です。

子供と私の成長曲線の変化

習い始めて2年目。初めの頃は、先生のアドバイスを受けて、自分の字が大

きく変化することにとても喜びを感じ、楽しさを感じていました。

昇級試験もあり、少しづつ球があることにも何か励みになりました。

子供の変化も、共に教室に通う中で見えていましたが、

私よりも少しづつの変化という感じでした。

ですがここ数ヶ月、この成長曲線が、子供と私と比べると、

逆転してしまいました。

つまり、子供の方が圧倒的に成長しているなという感じが

はっきりとわかるほどです。

さらに、彼女の習字に対する意欲も大きく変化しているような気がします。

今までは、一枚ぱっと書いたら、先生に見てもらうということをしていまし

た。ですが、最近は自分の中で納得がいかなければ何枚か書いてみるという

ようなことをしています。そのあたりの意欲も大きく成長しているというの

がわかります。

一方私は意欲は前と変わらずあると思っていますし、うまくなりたいという

気持ちは変わらずにあるのですが、いまいちこれだ!とかうまくいった!と

いう何か確かな感触を全く感じられずにいます。字も私から見たらなんとも

言えない仕上がりのような気がするのです。完全に自分の中でスランプを迎

えているような気がしました。

先生に言ってみたら

そのような、なんとも言えない沸々とした思いを先生に言ってみたところ、

「それは誰しもあることだ」

というような返答をもらいました。

実際は少しづつ少しづつ変化しているのだけれども、以前よりも自分自身が

成長していることで、その伸びを感じにくくなっているのだということでし

た。ある意味耐える時期に突入したのだということでした。これから書けば

書くほど、そのような感覚になっていくようです。でも、先生から見て、私

は字を書くことを楽しんでいるように感じるから、その気持ちさえあれば大

丈夫だということでした。大切なのはやはり「好きだ」という思いなのだと

感じさせられました。

わかったこと

先生の言葉でわかったことが2点ありました。

それは

それでも変化は起こっている

「ネガテブケイパビリティ」を育成中

ということです。

それでも変化は起こっている

自分自身では何も進んでないやと思ってしまう段階がくることは、当たり前

なのかもしれません。始めたてというのは、0からスタートして何かしら形

になると、変化がわかりやすいです。

ですが、そこからさらに進めていくと、ある程度形ができたものから、細部

を極めていかなければならない。だからこそ、変化が見えにくい。一気に1

から10に行くことは難しくて、1.1とかもしかしたら1.01とか、小数点

のような小さな歩みを刻みながら進めていくことになるのかもしれません。

だから見た目ではわかりにくです。ですが、着実に前に進んでいる。変化は

起こっているのです。そこに気がつくことも自分へのささやかな喜びにつな

がると思います。そしてさらに言えば、そのささやかな変化の原動力は、た

だただ自分がやりたいから、好きだから、という気持ち以外にないのかもし

れません。そこも重要だなと思いました。

「ネガテブケイパビリティ」を育成中

ついつい私はすぐに結果を早く求めてしまうところがあります。習字に関し

ても、その気持ちがむくむくと出てきているようにも冷静に考えたら思いま

す。ですが、何かしらの結果を得られない、もしくは得られていないと感じ

るその気持ちに耐える、もしくはその状況をもっと進んで楽しめるような気

持ちや力を養っている最中でもあるのかなとも思いました。これは「ネガテ

ィブケイパビリティ」を私は育成している真只中なのだと思います。そう思

うと、単に字が上手くなるだけというわけではなく、メンタルも鍛えられて

いるわけです。

最後に

私が沸々とした気持ちを持ちながらも、「上手くなりたい」と思うのは、自

分自身が習字が好きだということもあります。それと同時に、子供と同じこ

と、同じ時間に共有できることで、子供の成長を見ているからなのかもとも

感じました。切磋琢磨とはまさにこのことかなと思います。そして、私も

子」供にもそのように感じられるような自分でありたいと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました