レオナルド・ダ・ヴィンチ的視点で人生を豊かにする『レオナルド・ダ・ヴィンチ ウォルター・アイザックソン(著) 土方奈美(翻訳)」

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レオナルドダヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチといえば、誰もが一度は耳にしたことのある人ではないでしょうか?

『最後の晩餐』『モナ・リザ』などもきっと目にしたことがあるでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、ルネサンス期の代表する芸術家であり、科学者、技術者でありと、

色々な才能を持ち合わせており、「万能の人」などと言われている偉人です。

そのように考えると、偉人はすごいなとか、才能だよなとか、そのような感想を持ってしまいがちです。

しかし今回読んだ本「レオナルド・ダ・ヴィンチ ウォルター・アイザックソン」で、一言に「天才」で片付けるのは、乱暴だなという感覚を持ちました。

実際、著者も本文で安易に「天才」と呼ぶことをよしとしていませんでした。

「天才」という線を引くことで、自分とはかけ離れた人間と境界線を引いてしまうことも可能です。

ですが、「天才」と片付けないで見てみる「レオナルド・ダ・ヴィンチ」から考えさせられた

レオナルド・ダ・ヴィンチ的視点について書いてみようと思います。

今回読んだ本

『レオナルド・ダ・ヴィンチ ウォルター・アイザックソン(著) 土方奈美(翻訳)」

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81-%E4%B8%8B-Walter-Isaacson/dp/416391000X

まずこの本はダ・ヴィンチの遺した全7200枚の自筆ノートをもとに執筆された本です。

そもそも自筆ノート7200枚も残っているということにもびっくりさせられます。

そうした自筆のノートから執筆されていることで、よりレオナルド・ダ・ヴィンチの考えていたことなど、

真実に近いことが描かれているのではないかと思います。

ですので、非常に興味深く読むことができました。

私が驚かされたこと〜努力の達人〜

正直、私はレオナルド・ダ・ヴィンチのことを多くは知りませんでした。

知っていることとと言えば、『最後の晩餐』『モナリザ』を書いた人ということです。

ですので、本書を読んで、レオナルド・ダ・ヴィンチの驚かされたことが多くありました。

それは類稀ならない好奇心、探究心、観察力でした。

レオナルド・ダ・ヴィンチは非常に好奇心に満ち溢れていたようです。

自分が疑問に思ったこと、これからすべきこと、気がついたことなど、なんでもメモしていたようです。

例えば「キツツキの舌を描写せよ」というもの。非常に面白いですよね。

何にでも興味好奇心を持ち、それをそのままにするのではなく実際に自分で実験をしてみたり、

状態を観察するというようなことも細かく行なっていたそうです。

例えば、人間の表情について、好奇心を持てば、人体の解剖しどの筋肉を使っているかなどを

観察して描くほどだったようです。馬の走る姿を描くのも、馬を解剖したりということも行なっていました。

解剖をもっと適切に行うために、どうすればいいかを、豚で試したりと、色々なことを実験するようなこと

を何度もしています。

それは、決して、人体だけではなく、水の流れ、地層だとかそのような自然現象に関しても、

気になることがあれば、観察し、実験をし、考えるということを行なっていました。

さらにはそのような事象からパターンを見つけ、アナロジーで理論を展開していくようなこともしていた

ようです。

好奇心を持ったからといって、解剖までしてしまう、さらにより良い解剖をするために、さらなる実験を行う。

さらに観察力も果てしなく、残された自筆ノートにもしっかりと記載されていました。

観察力に関する記述で、レオナルド・ダ・ヴィンチが実際に書いていたこと

「物体の形をきちんと知りたければ、細部から始めよ。

最初の段階をしっかり記憶に刻むまで、次には進んではならない」

と書かれています。この文だけでも観察に関する熱量を感じます。

そのような探究心も、尋常じゃないような感じもしますが、この力が本当に驚かされます。

そして、一度見つけたパターンに縛られることなく、無限の多様性も理解していたとも書かれていました。

一つの大きな何かに気がついたら、どうしてもその考えに固執してしまうのではないかと想像してしまいます。

ですが、そうではなく柔軟な考えを持っている、そして分野を超えて、その考えを広げているというのも、

私の中で驚かされました。

その結果、『モナ・リザ』のあの微笑みにつながり、影と光の関係性から生み出された

自然な絵画のあり方につながったのだと思います。

そのような傑作は、おそらく人並みはずれた好奇心がスタートだったのだと思いますが、

彼が決して、天才という与えられた力だけでできていたのではなく、

彼の地道な行動によって生まれてきたものなのだということがわかります。

そこから私が感じたこと〜レオナルド・ダ・ヴィンチ的視点をもて〜

もちろんこのような脅威的な好奇心、そして観察力を持続する力というのが

ある意味天才の粋なのかもしれません。

ですが、誰しもそのような情熱的な好奇心を持つところがあるのかもしれません。

残念ながらというか、私自身は大人になるにつれ、そのようなものが少なくなているように思います。

本書の一部で

レオナルドの視点で世界を見ると

「日々目の前の世界に驚きを見出そうとすることで人生は豊かになるのだと。」

ということが書かれてあります。

レオナルド・ダ・ヴィンチのように、好奇心を持って、そして積極的に疑問を持つことで、

例えレオナルド・ダ・ヴィンチのような世界に残るようなものを生み出せないとしても、

人生を豊かにすることができるのだと思うと、レオナルド・ダ・ヴィンチ的視点というのは

素敵だなと思いました。同じものを見ていても、ダ・ヴィンチ的視点で見れば、

何層にも厚みをました世界を見ることができるのかもしれません。

そして、好奇心といえば、子供たちです。いろんなことに好奇心を持って、いろんなことをやってみたい。

そのせっかくのチャンスをもっと育てることができるようにしないとなとも感じさせられました。

ついつい、時間や常識のようなものとらわれて、もしくは知らぬまに効率を追い求めて、

好奇心の目をうまく成長させられないままのこともあるように思います。

この辺りも、改めて考えさせられたように思います。

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