今回は1995年3月20日に起きたオウム心理教団による地下鉄サリン事件について書かれた
『アンダーグラウンド 村上春樹』を読んで私が考えたことを書いてみようと思います。
この事件が起こったのは、私が小学生の頃だったと思います。なのでなんとなくの意識しかなかったのですが、
この本を読んで、恐ろしさが増したように思います。
今回読んだ本
今回読んだ本は
「アンダーグラウンド 村上春樹」
です。村上春樹さん自ら、62人の関係者にインタビューを重ねたノンフィクションの本です。
著者は、最初の質問として、インタビュイーの個人的な背景を聞いたそうです。
その理由として
『「被害者」一人ひとりの顔だちの細部を少しでも明確にありありと浮かび上がらせたかっだ。
そこにいる生身の人間を「顔のない多くの被害者の一人(ワン・オブ・ゼム)」
で終わらせたくなかったからだ』
と書かれています。
実際に、一人ひとりのインタビューを実際に読んでいくと、インタビュイーの背景がわかったり、
どんな方だったのかという感じをほのかに掴むことができ、それぞれの方の体験を私たちと同じ日々を生きていた
生身の人間の話なんだとリアルに感じ、胸にずしんとのしかかるような思いがしました。
今回私が読んで考えたこと
私が読んでいく中で考えたことが2つあります。
正常維持バイアスと知識の必要性
偶然の連続性
です。
正常維持バイアスと知識の必要性
私が本を読んでいて、大きく引っかかったことがあります。
それは結構な人々が
「なんとなく異臭を感じた」
「みんなが咳き込んでいる」
「自分自身も体調がすぐれないな」というような異変を感じながらも、
そのまま仕事場に向かったり、日々のやるべきことをこなそうとしていたことです。
ところどころでいつもと違う感じというのを、感じていたけれど、日々の生活を過ごそうとしていた、
尚且つ、体調に異変が合ったとしても、数人は自分で病院に行くというよりは、周りの方にこんな事件が
あったらしいから病院に行くべきだというようなことを言われて、初めて病院に向かった方もおられたようです。
このようなことに、私は「こんなに異変に気が付いているのどうしてだろう」と思いました。
ですが考えてみると、自分も同じ立場ならそうしていたのではないかと思います。
私がどうしてだろうと思ったのは、それはあくまでも、
私がこの事件をテレビや新聞をみて、大変なことが起きたという全貌のようなものを見ることができたから
だったのです。渦中にいるとそれがどのように大変なことかなんてわからないのだと思います。
日々のある程度予測できる平和な生活をしている中で、いつもとはちょっと違った違和感があったとしても、
それが大きなことや問題になっていると思うよりも、自分の生活を過ごしていかなければいけない、
もしくは自動操縦のように勝手にそのような判断で動いている側面があるのだと思います。
ある種の現状維持バイアスなのかもしれないと思います。
その一方で、一人目のインタビュイーの和泉きよかさんは、知識があることによって違う行動をとることが
できた方です。彼女は、もともとJRの総合職として勤めていて、その時の研修時に受けた緊急事態訓練が役に立っ
たようです。もちろんこの方が素早く行動できる、そして機転のきく素晴しい方(そのような簡単な言葉では収ま
らないのですが)というような人間としての資質のようなものも大いに関係しているとは思います。
ですが、ある程度の緊急時ということを想定として知識があったというのも重要な視点ではないかと思います。
つまり、
私たちは「現状維持バイアス」のようなものがあり、何かしらの変化があっても、
行動を変えることが、難しいという特性があるのかもしれない。
さらに、
知識があればもしかしたら、行動を変えるのが難しいという特性を、少しは変化させることが
できるかもしれない
ということを考えました。
偶然の連続性
そして、本を進めていく中で、結構な率で
「今日たまたまこの線に乗り合わせた」
「いつもはこうだったのにたまたまこの日だけ」
というような「運悪く偶然」というようなフレーズがあったような気がしました。
またその人々の生い立ちなどを読み進めていると、
例えば、それぞれの人生の中で、何かの縁で「偶然」この地に引っ越してきてというように、
事件の直近の出来事でないにしろ、人生の歩みの中で、たくさんの「偶然」が続いて、
今であるという感じを感じました。つまり、この「偶然」の連続が、今の現状の自分を生み出しているような感覚
です。一文にしてしまうと、あっさりし過ぎているというか、、、うまく説明できないのですが、
その「偶然」の連続、それがいいこと、悪いこと、運命論とかと言いたいのではなく、やはり日々のその時々の決
定や選択は、その時は何気なく行なっていることだったりするけれども、
長いスパンで俯瞰してみると、その一つ一つの決断やそれに伴う「偶然」が
今の自分自身を作ってきているのだということを感じたように思います。
だからといって、決定を慎重にした方がいいというのとも違うような気もします。
こうした何気ない日々が自分を積み上げているということ、
それは、自動運転で生きていると気がつかないし、そんなことすら感じないかもしれません。
ですが、この一人ひとりのインタビューからそれが少し教わったような気がしました。
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