私には、小学3年生の子がいます。その子が学校の懇談の時に言われたこと、一言で言うと
「コミュニケーションをあまりしない」
この指摘から、コミュニケーションについてある仮説を立ててみました。
それは
「コミュニケーションしたいと思わなければもしかしたら、
言葉自体を覚えようという意識が働かないのではないか」
というものです。
子供の学校の在り方
私の子供は一人で何かをすることが好きです。だからなのか、学校に行っても、そんなに人と交わることもしない
ということを先生から聞きました。私からみていると、人には興味があるし、人と一緒にいることも嫌いじゃない
けれど、興味があるときだけ、顔を出すというスタイルをしているように見えます。
また授業中でも、班で話し合いをする際に、うまく発言できないという事があるようです。
私としては、それぞれの成長の在り方、好みがあるので、特段心配はしていないのですが、
なんとなく、先生からは、コミュニケーション不足ということを指摘されているのだろうなと感じました。
そこで私はこの姿はコミュニケーションしていないということになるのだろうか?とふと思いを馳せました。
そこで考える中で、一つの仮説が出てきました。
今回の仮説
冒頭でも仮説を述べたのですが、さらに深く考えていくと
1、誰かに何かを伝えたいという思いが、自分自身に特になかったら、いろんな言葉を覚えようとか、
その術について考えることもしないのかもしれない
2、人類がこの地球上に一人しかいなかったなら、きっと言葉や表情はあまり進化しなかったのではないかもしれない
ということを思いました。
そもそもコミュニケーションとは何か
よく「コミュニケーション能力」などと言われますが、そもそもコミュニケーションとは
一体なんだろうということを調べてみました。
一般社団法人日本コミュニケーショントレーナー協会のHPで見ると、
コミュニケーションとは、感情や意思、情報を受け取り合うこと、伝え合うことです。
コミュニケーションには、「言葉によるコミュニケーション」と「非言語コミュニケーション」
の2種類があります。
非言語コミュニケーションとは、言葉以外のコミュニケーションのことです。
コミュニケーションは、「受け取る側」によって成立します。
コミュニケーションにおいては何を伝えたかではなく、「どのように伝わったのか」が大切なのです。
ここで私が考えるポイントは、
感情や意思といった自分の中から湧き上がるものを、出す、そして、相手も受け取る、
という双方の関係性が必要だということです。
また、言葉というものだけでなく、言葉以外の非言語コミュニケーションというものもあるということです。
私の仮説を考えてみる
では先ほどの仮説について、上記のコミュニケーションの定義を基に考えてみたいと思います。
1、誰かに何かを伝えたいという思いが、自分自身に特になかったら、いろんな言葉を覚えようとか、
その術について考えることもしない
2、人類がこの地球上に一人しかいなかったなら、きっと言葉や表情はあまり進化しなかったのではないかもしれない
まず、先ほどのコミュニケーションの定義からいくと、
1に関しては、感情、意思を相手にする伝えるということは、言葉、表情などでよりリアルに相手に届けたい、
というWANT(したい)が強く根底にあるように思います。
そして、自分の気持ちにより近い、そしてリアルに相手に感じてもらえるように、
言葉、そして表情、体の動き、などを駆使して、伝えていくと言うことになるのだと思います。
となると、本人にそうしたい、つまりWANT(~したい)と思いが強くなければ、
話者にとって、言葉、表情などがそれほど重要ではないのかもしれません。
それと同時に、自分の気持ちをリアルに伝える術(言葉、表情)があるということを知らない場合も
あるかもしれません。
2に関しては、そもそもコミュニケーションとは相手ありきのものです。たった一人の人間であれば、
双方の関係性、という部分が成立しません。
私の体験、WANT(~したい)から生まれる気持ち
話は打って変わって、私はここ一年位英語の勉強を細々としています。
そんな中、たまたま日本に観光で来られていた外国人(英語話者)の人と英語で話す機会がありました。
しかしながらその勉強の甲斐も虚しく、私が思っているような感じで話す事ができませんでした。
しかしこれをきっかけにさらに言葉を知りたい、もっと勉強しなければという気持ちが湧いてきました。
拙い単語を組み合わせながらなんとか伝えるという感じです。
でもこのようなきっかけがあったから、もう少し話ができるようにと言葉を知ろうとしています。
そこからさらに考えること
以上のことから、私が考えたのは、
コミュニケーションいうのは、WANT(~したい)が動機にないと成立しないということ、
そしてだからこそ、その手段である言葉などは、
その気持ちが熟したときにもしかしたら、大きく実るのではないのかということです。
子供のことに当てはめると、そもそも子供自身が一人が好きで一人の時間を満喫している。
だからもしかしたら、まだ誰かに伝えたいことがそこまでないのかもしれません。
班の話し合いなどで、うまく話せないということですが、
もしかしたら、その話せないないのではなく、あえて話さないと言う可能性もあります。
そしてその動き自体が非言語コミュニケーションになっているのかもしれせん。
そのような視点で彼女をみるというのも一つの選択肢かなと思います。
ですが、やはり社会に出ると、それでは理解されないということもあると思います。
だから、先ほどの私の仮説から考えるに、彼女は
その表現の仕方を知らないだけかもしれない、
彼女のWANTに働きかける出来事にまだ出会ってないだけかもしれない。
と思います。だとしたら、私ができることは、彼女と話し合いながら、
環境を設定していくことなのかもしれません。あとはゆっくりと待つことも大切だと思います。
最後に私自身のことを少し
あれこれ子供のことを書いていながら、私自身、コミュニケーション能力が高いわけではないです。
なので子供にあれこれと言えることもありません。
私の場合は、子供とは違い話したい気持ちはあるけれども、うまく話ができないと言う
ジレンマのようなものがあると感じています。
こう考えると、コミュニケーションとは奥が深いなと思います。
もう少しこのコミュニケーションというものをもう少し深掘りしてみたいなと思いました。
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