森の民から考える私たちの常識とは~「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者がかんがえたこと 奥野克巳」

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今年に入って新しく私が得た思考として「エンパシー」という言葉です。

「エンパシー」とは、簡単に言ってしまったら、その人の立場になって考えてみるという事だと思います

その一言にまとめたら、簡単に得られそうな力だと思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません。

大変に難しいことです。その力を自分にも養うべく、今回は私たちの生活とは大きく異なる生活をしている

人を知る事で、私たちの常識と思ったことをぶっ壊して、そこから何か気づきを得れるのではないか

という事で、今回の本を選びました。

今回の本

今回読んだ本は、非常に題名が長いのですが、

「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者がかんがえたこと 奥野克巳」

です。今回の本は、題名からして大変興味深いなと思いました。

「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉もいらないとはどういう事なのか。

私たちが日本で生活していたら、「ありがとう」「ごめんなさい」は小さな頃から叩き込まれる概念です。

毎日この言葉を言わない日は無いと思います。森の民の当たり前を実際にその土地で生活した著者が

考えた事から、さらに私が気が付いたことを書いてみようと思います。

 

本書で学んだこと

「エンパシー」を鍛えるのに、私が本書で学んだことが今回は2点ありました。

現状を疑え

「パースペクティヴィズム」

現状を疑え

この本を通じて、森の民「プナン」の生活を読み進めていくと、

筆者の体験と思に私自身を大きく驚かせることが多数ありました。

題名にもあるように「ありがとう」「ごめんなさい」がないということ

それ自体がびっくりですし、そうなると

そのような「感謝」「謝罪」とはそもそも何なのか?

どうしてそのような考えに至っているのか?

どうした社会のあり方であるのか?

という本質のようなものすら疑問が湧き考えさせられます

本を読んでいると、

自分たちが当たり前だと思っていることが

ほんとうにそうであるのか考えよ、疑ってみよ

と言われているように感じました。

具体的な例~「ありがとう」のプナンの考え方~

例えば、題名にもあげられている「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉。

プナンではそれに似た言葉はあるようですが、全く同じ言葉はないとあります。

その流れから、本文を一部抜粋すると

他方で、「ありがとう」に相当する言葉として”jian kenep”(良い心)という表現がある。

それは、「よい心がけ」であると、贈り手の分け与えてくれた精神力を称える表現である。

感謝されるのではなく、分け与える精神こそがほめられるのである。

私たちの常識とは大きく異なります。贈り物ではなく、その人の精神性が称えられる。

だんだんと社会も変わりつつあるとは思いますが、どちらかというと、多く所有している事が何かしら

権威の象徴というような部分もまだまだあると思います。これは社会の仕組みが大きく異なるので、

考え方も大きく変わるのだと思います。実際本書でも、プナンの社会のあり方が、社会全体に自然の恵みが

行き渡る仕組みであり、その社会であると、個人占有、ケチの精神ではなく、分け与える寛大な心を

よしとする社会があると書かれてありました。

具体的な例~「ごめんなさい」のプナンの考え方~

「ごめんなさい」つまり反省もプナンではしないとあります。

プナンでは「個人的に」反省を強いることはなく、場所、時間、道具、人材などの共同体、

集団の方向付けの問題として扱われることがあるというのです。

その要因として、筆者が考えていることは、

1、プナンは「状況主義である」

2、プナンの時間の観念が私達と異なる

とあります。

1、プナンは「状況主義である」とは、プナンの人は、その時起きている事柄を参照点

として行動を決めるという事を常にしていて、その結果は分からないという事を知っている

という事だとありました。つまり、「諸行無常」を心身ともに分かっていて、だから随時対応していく

ことしかできないということなのではないかと思います。

(森の民と仏教の考えが結びつくとはこれも面白いです。)

2、プナンの時間の観念が私達と異なるとは、プナンの人々は「今を生きる」という理念で動いている

という事だと書かれています。逆に私たちの社会では常に向上心と成長というような未来に焦点があるような

社会であると思います。

この二つの事例からも、社会のあり方が大きく異なる事により、見え方感が方が異なる。

常識とは何かが覆されるような気がします。

「パースペクティヴィズム」

この本の面白いところは、ニーチェの哲学とプナンの考えの共通点を示してくれている部分だと思います。

筆者はニーチェの「遠近法主義(パースペクティヴィズム)」を出しています。

これはある見方に対して別の味方があると考えるアイディアだそうです。

プナンでは、人間同士の関係ではなく、動物や精霊などの人間以外の存在者のパースペクティヴィズムを

常日頃気にかけているといいます。人間以外の視点を持ち合わせているという事。

そこで、幅広いパースペクティブを持ち合わせ、森の中で暮らしているのです。

エンパシーとも、何か通じる考えのような気もします。

最後に

大きく異なる社会を見る事で、私たちの当たり前に疑問を投げかける事で見える世界が変わるかもしれない、

そして、多くのパースペクティブをもち、うまくかけ合わせる事で別の視点を持てる事があるかもしれない

その様な考えを持ちながら、社会を見つめたり、日々を過ごす事で、エンパシーを持つ事が出来るのかもしれな

いと思いました。

 

 

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