今回、以前読んだことのある『子育てで大切なこと アルフレッド・アドラー』を再度読んで、
気がついたことについて考えたことを書いてみようと思います。
初めて読んだときは、「お母さん」という立場で読んだのですが、
今回は学校教育とは何かという事を考えている中でこの本を再度読み返しました。
どんな本か
『子育てで大切なこと「お母さん」「お父さん」「教師」の役割とは何か
アルフレッド・アドラー』
この本は、一度は聞いたことがある方も多い心理学者アドラー博士によって書かれた
育児・教育について書かれた本です。
「赤ちゃん」の時から「青年期」にかけて、アドラー博士の考えが書かれています。
時代背景などがあるので、ここに書かれてある事すべてが腑に落ちたというわけではありませんが、
非常に興味深いことが書かれてありました。
今回注目した言葉
今回、私がこの本を読むうえであった問い「学校教育とは何か」という観点があります。
その観点から見た時に興味深いと感じた言葉が、「共同体感覚」という言葉です。
この「共同体感覚」はアドラー博士の考えの一つの柱とも言えるものだと思います。
「共同体感覚」とは自分のことだけでなく、他の人達にも関心があること
とあります。そして、それと同時に本書でよく書かれているのは「協力する能力」という言葉です。
これだけ読むと、まだ不明瞭な感じがします。
もう少し踏み込んで、本書に書かれている学校、教師のあり方についての部分を一部抜粋してみると
私たち現代人は、お金を稼げるようにしたり、産業システムの下で職に就けるようにしたりするため
だけの教育を望んでいません。望んでいるのは「仲間」です。
社会の一般的な仕事への、対等で、自主性と責任感のある「協力者」を望んでいるのです。
私はここで、学校教育の一つの大切なあり方は、こうした協力者、仲間を培っていく過程を教えるという事に
あるのかなと思いました。
その具体的な方法は、自分だけのことばかりを考えるのではなく、他者に関心を向けた、
興味を持つようにするという事です。
本書に書かれていたこととして、
教師が、子供に興味関心を向け、どんなことが好きで、どんなことに興味があるのかを知り、
その分野を得意として伸ばす事で自信をつけることができる
という事が書いてありました。これは、親もしかりだということも書かれてありました。
こうして、身近な大人が子供に興味関心を持ち、その分野を成長させることができたら、
子ども自身もそのような体験を、ほかの人にすることができるきっかけに成るかもしれません。
現在の社会はどうだろうか
ですが、現在の社会では、「共同体感覚」ということが、難しくなっているのではないか、
ということを感じたりします。
「自己責任」というような風潮がそれを物語っているのではないかなと思います。
もちろんそうではない部分もあるだろし、「共同体感覚」を持ちたくても、
もう自分のことが必死でそこまで目が行き届かないというあり方があるようにも思います。
いろいろな要因があるので一概にいうことはできませんが、私自身そう感じる事があります。
実際に、私も色々な人に関心を持つ事をためらってしまう部分もあります。
自分の家族のことを考えるだけで、自分のキャパシティを超えている部分もありますし、
何か関心をもって、何か手助けしようと考えても、おせっかいすぎるのではないかとか、
迷惑に感じるのではないかと思って動けない自分もいます。
変わろうとしている部分もある
その一方で、「共同体感覚」を意識していると思われるようなことも、見聞きします。
例えば、「サードプレイス」「第三の場所を作ろう」があります。
これなどは、無理をした付き合いではなく、自分が居心地の良い場所の中で、
周りの人と何かしらの関心を持ちながら、自分のスペースを作っていくことなのかなと思います。
以前に書いたブログでも、「社会的処方」という考え方がありました。
この考え方も、一つの「共同体感覚」から派生したあり方なのかなと思います。
このように、そのような基礎となる考えが「共同体感覚」なのではないかと思います。
「共同的感覚」を得るためには
先ほども書いたように、相手に興味関心を持つ事で、相手を知る。そこから、協力することの楽しさを
学ぶ事が大切なような気がします。家族内、学校内こういうところで経験を重ね、自分で会得して
いくことが大切なのだと思います。
私自身キャパシティーが狭いので、まず家族により目を向けて取り組めたらと思います。
コメント