私が身につけたい力として「エンパシー」があります。
「エンパシー」ついては以前書いたブログを読んでいただけるとありがたいです。
なので、「エンパシー」を身につけるべく、今回は、脳の個性、いわゆる発達障害やグレーゾーンと言われる
人々の世界に目を向けてみようと思いました。
なので、「発達障害&グレーゾーン」に関する本を読んでみました。
今回読んだ本を通じて、考えたことを書いてみようと思います。
この話を始める前に
私は、うまく言語化でないのですが、この「発達障害」という言葉とそれがもたらすイメージに何か
違和感がありました。「脳の個性」とも感じられる「発達障害」。個性だとすれば、それを
障害と決めつけているのは、あくまでもそうでない人の勝手な決めつけではないだろうかと
も感じます。ですが、この現状を生きていく上で、ある人が苦しんだり、スムーズに事が進まないのであれば
それは「障害」と言えるのだとも思います。
また、一方で、そうして何かしらの名前を得る事で、楽になる事もあると思います。
その問題に対して、はっきりとした対策が打てる、誰しもにわかってもらえるというような面があるからです。
イメージとしては「マタニティキーホルダー、ヘルプマーク」などです。
良い面悪い面があるので、どうしてこんな違和感を感じているのかはわかりません。
ですが、このブログでも便宜上、わかりやすい記号として「発達障害」
と書いていますが、私としてはそのような曖昧なスタンスであるということを先に書いておこうと思います。
そして、今回読んだ本にも同様なことが書かれています。
一部抜粋すると
「ショーガイ」という言葉が概念をつくり、社会がその概念をイメージ付けます。
「ショーガイ」という言葉にはマイナスのイメージづけがされている事に違和感を覚えます。
レッテルを貼られることで楽になる事もあるでしょう。
どちらにしても、その人がその人らしく、生きていける世界になればと思います。
今回読んだ本
今回読んだ本は
「グレーゾーンの歩き方 成沢真介 瀧靖之」
この本は、「発達障害」と言われる人が体験している日常、例えば気持ちや困りごとなどが書かれています。
そしてどうしてそうなってしまうのかということもかかれている本です。
どのような世界を歩いているのかを体感しているように読める本です。
面白いのが、発達障害&グレーゾーンの人々の生活を、旅と例えて、読めるというのも、
先ほどの「障害」というものでなく、あくまでも「特性」というように前向きにとらえているところが
面白いなと思います。
読んでいて感じたこと
この本には障害の特性が色々と書かれています。それを読んでいると、私も当てはまる部分あるなとか、
そういことあるなというような部分がありました。
おそらく、この本を読んだ人は誰しも同じようなことを感じるのではないかと思います。
例えば「怒りのコントロールが難しい」というのは、私は普段それほどではないですが、
子供のことになると、そういう部分が出てしまうことがあります。
「気分が落ち込みやすい」というのは、私自身よくあることです。
それは、女性ホルモンの影響で生理前など気分が不安定になったりしますし、
なにか失敗をしたとか、誰かに叱られたとかそのようなことでも大きく気分が落ち込みます。
誰しもそのような特性があり、その濃淡がそれぞれ違うのだけれども、
あまりにもその特徴が濃すぎて、今の社会を生きていくのに不都合が生じるときに
それを障害というのではないかと思いました。
はじめと重複しますが、今の社会の不都合というのは、あくまでも「今、この現在」であるということを
私達が忘れてはいけない視点だなと思います。時代や場所が変われば、その特性の方が優位である
可能性もあるわけです。
今の「社会」を絶対のものとして考えることは、本来であれば、障害と感じなくていいものまで、
障害になってしまう可能性があると思います。
それと同時にすぐに何事も変化できるわけもなく、現在進行形で苦しんでいる人にとっては、
それは机上の空論でしかないのも事実です。
だからこそ、
「発達障害&グレーゾーン」と言われる人は苦しんだり、困難を抱えている部分があるということ
どうすれば共にうまくやっていけるのかを考えること
そのような視点も忘れては行けないなと思います。
その中で私ができること
では 私ができることはなにか?ずばり「エンパシー」です。
自分の持っていない、知らない世界を知ること、そしてその事について考えてみる事が大切だと感じました。
その一歩として、この本を手に取ったわけですが、こうした小さな積み重ねをすることが
必要かなと改めて感じました。
実際にこの本を読んでいくと、こういうことを日々感じているのかとか、
こうしたことがその問題を引き起こしているのかと感じることができました。
そして、もしもそのようなことに自分が遭遇したら、どんなことができるだろうかと
考えることもできたように思います。
例えば複数のことを同時に行うのが難しいという機能障害を見たときに、
(自分でもそのようなことはあるのですが)、
やるべきことを、一つ一つ分けて説明する、
視覚優位なら、書いて示す、
というようなことをできるのではないかと思いました。
それは、機能障害云々というより、どの人においてもすればミスも少なくなるだろうから、
日頃から意識して行っていいことのように思います。
そう考えれば、機能障害と言われるものから、みんなにとってウィンウィンな考えを得ることができる
のだから、良い循環が生まれるようにも思います。
最後に
自分とはあまりにもかけ離れた人を受け入れるということは、簡単にはできないことかもしれません。
ですが、自分には色んな世界があることを知りながら、自分にとって何ができるのかという視点を持ちながら、
生きてくことは大切だと思います。
ここのところ、私以外が見ている世界がどんなものなのかを意識するようにはしています。
個人個人全く違う人だということは当然といえば当然のことです。
ですが、みんな同じ人はいないということを意識していないと、
どうしても、自分を基準においた当たり前、常識のようなものに当てはめて物事を見がちだと思います。
そして、たとえ意識していたとしても、ついそのような考えに支配されている自分がいることに気が付きます。
こうした事を繰り返す事で、だんだんと思考が耕せるのではないかと思っています。
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