こんにちは。
12月も残りわずかということで、時間がどんどん過ぎていく感覚があると思います。
周りでも、時間がどんどん過ぎていくとか焦りを感じている人が多くいる印象があります。
そんな中で、「時間」について考えた事がありましたので、その事を今回は書いてみようと思います。
どういうことかというと、
例えば子供の時間は、生産性を重視する人々の時間と大きく異なる
ということです。
一体どういうことか、お付き合いください。
ジャネーの法則
一般的に、時間の感じ方という話になると、
子ども時感じていた時間感覚よりも、大人になると時間が早く過ぎるように感じる
というようなものではないかと思います。
このような感覚を「ジャネーの法則」というようです。
簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例すると主張したものである。
Wikipediaより引用
フランスの哲学者であるポールジャネによって発案されています。
私たちがなんとなく感覚的に思っていたことが、既に哲学者によって発案されているって面白いですよね。
私が感じる時間的な感覚
ですが、私が今回言いたい時間的な感覚は、これとは少し異なっていて、
生産性を重視する人たち、つまり、この資本主義社会を生きていて、その現場で働いているような人々
の時間のスピード感と、顕著なのは子どもはまったく異なる時間を生きていると思います。
これは普通に考えたら当たり前だろと思われると思うのですが、意外とその事を実質的に理解している
かと言われれば、そうじゃないような気もします。
実際にそのような方と生活していれば感覚的に分かるかもしれませんが、
意外とその本質には気が付かずに、自分たちにとって不具合が生じているというような
形で感じ取っているのかもしれません。
また、実際に資本主義的なスピード感で生きている人も、そのスピード感にずっといることで、
スピード感に麻痺してしまっている事があるのではないかと思う部分もあります。
子供との生活を通して
では実際に私が子供と生活している中で、どのように時間的な違いを感じているのかを
紹介してみたいと思います。
私は、今時間に追われながらするようなパートをしています。とにかくスピード、生産性というような
感覚で働いています。だから、失敗も良しとされず、少しで止まるようなことも許されないような
そんな感じです。時間内に終わらせる。それだけに追われているような感じです。
ここではパートの私を、資本主義的なスピード感で生きているとします。
ではそこから、仕事を終え家に帰ると、本来は生産性を考えなくてもよいのですが、
そのスピードの流れで家の家のことを行ったり、子どもたちに接していくことになります。
家に帰っても、時間に追われているためです。ある程度決まった時間に決まった事を
こなしていかなければなりません。
ですが、子供達、つまり資本主義的なスピード感で生きていない人、は子供達の時間があります。
子供達には、その資本主義的なスピード感というのは全く必要ないものですし、むしろそのような
スピード感が子供たちにとっては邪魔になってしまうものでもあると感じます。
ですが、スピード感を持ち続けて走っている私にとっては、突然子供たちの時間に合わせろと言っても
切り替えられないのです。スピードを出している車が、急に歩く人が出てきたからと言って、
共にそのスピードですすめないように、スピード重視の行動をしていると、なかなか子ども時間に
あわせられないのです。だから、焦らせなくてもいいのに、子どもを焦らせてしまったり、
子供を待てないで、急かしてしまう自分がいるのだと考えています。
つまり、スピードを持っている人が、ゆっくり進んでいる人の弊害になっている可能性が
あるということです。
また、スピード感のあるものが、ゆっくり進んでいる人に、早くしてよと、不平不満をもっている
こともあるということです。
スピード感の中で行き過ぎると
スピードが重視されることは、多くの人にとっては問題のないことなのかもしれません。
ですが、私は少し危険かもしれないと思っています。
というのは、
スピード感がどんどん増しているように感じる
スピードがあるものが、ゆっくりなものの弊害になる事がありかもしれない
スピード感の加速が、ジャネの法則に対して、別なファクターとして加わって、
感覚的な人生のスピード感も早めているのではないか
というようなことを思い、少し怖いなと思ったからです。
具体的にどんな部分が怖いか書いてみようと思います。
スピード感がどんどん増しているように感じる
ネットが社会に広がりだしここ数年は、とくにスピード感が増しているように思います。
なにもかもが、どんどんと進んでいる感覚があるのです。
自分で怖いと思うのは、ネットなどがスムーズに進まないと気があると、
(おそらく少し前では早いと思われていたスピードでさえも)遅いと感じ、
そしていらいらしてしまうことがある事です。
自分の感覚でさえも、こんなに変化があるのです。これが世界全体となるとどうなんだろうかと
少し怖い気がします。
スピードがあるものが、ゆっくりなものの弊害になる事がありかもしれない
これは先ほどの、子どもを急かしてしまう親である私の行動からも感じます。
そして、いろんなことができる事を要求される年齢が早まっているように感じるのもあります。
私の子供のころと比べて、やらなければならに事が増えているように思いますし、そのレベルも
要求されているように感じます。でも、子どもの時期には子供の時期しかできないことがあるわけで、
スピードに合わせて、子どもの時間を早める事もないように感じます。
そのような点も私の中で、少し怖い部分かなと思います。
また、スピード感が当たり前だという感覚だと、ゆっくりの人、例えば子供、お年寄り等、を
待てなかったりということが起こるような気もします。
そうした、周りと異なるものを受容できなくるということが怖いなと思います。
スピード感の加速が、感覚的な人生のスピード感も早めているのではないか
これはあくまでも私の仮説ですが、
10年ごとの40代の人(例えば70年代の40歳、80年代の40歳 現代の40歳のように)の時間の感覚
を比べる事が出来たら、これは現代に進むほど時間感覚が速くなっているのではないかということです。
ジャネの法則にプラスして、仮に、スピード係数のようなものをかけたものが今の人の時間感覚になるの
ではないかという仮説です。
そうなると、今はどれだけのスピードで進んでいるのかと少し怖くなります。
だとすると
以上のことより、とにかく、資本主義のスピード感、つまり社会の流れになんとなく乗ってしまったら、
知らない間に、とんでもないところに行っていたり、思ってもないことになっていたりするということに
なるのではないかと思います。
もっと時間に意識的になって、あえて、そのスピードから抗うこと、子どもの時間にしっかりと向き合うこと
が大切なのではないかと思いました。
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