今回は「思考の穴 著アン・ウーキョン 訳花塚恵」を読んでみて、
以前読んだ「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」
につながるようなことがあるなと思ったので、そのことについて書いてみようと思います。
今回読んだ本
「思考の穴 著アン・ウーキョン 訳花塚恵」
この本は、バイアスにとらわれないようにするための考え方、そして対処法について書かれている本です。
特に、身近な例が多く書かれているので、私にとってはとても読みやすかったです。
著者の体験などはとても親近感が湧くような本です。
本「目の見えない白鳥さんとアートを見に行く」の紹介
この本については、以前の記事で書いたことがあるので軽く紹介してみたいと思います。
目の見えない白鳥さんと目の見える人がともにアートを鑑賞するというスタイルの中で、
それぞれが同じ絵を見ているにも関わらず、見方が異なっていたり、
注力して見ているものが異なっていたりと、個人個人で差異が生まれるそうです。
それは「視覚とは「目」や視力の問題と考えられがちだが、実際は脳の問題
ということが書かれていました。
そこで私はそれを勝手に「脳内コレクション」と名付けました。
私達が今までスト
だからこそ、人から出されるアウトプットは、その人それぞれが異なる見方になるということになるなと。
「思考の穴」から似てると思う部分 ~キーワード「体験」~
「思考の穴」の「流暢性の魔力」という章で、「流暢性効果」というものが
誰しも起こり得るということが書かれていました。
流暢性効果とは
「頭のなかで容易に処理できるものは、人に過信をもたらす。
そうして生まれる過信のことを「流暢性効果」と呼ぶ」
とあります。
流暢性効果が生じる原因は、「メタ認知」(取るべき行動を教えてくれる能力)であり、
メタ認知にとって有益な判断材料は「親近性」「やりやすさ」「流暢性」の感覚なのです。
そしてその親近性の判断はヒューリスティック(経験則や直感による判断)なのだと
私なりに本書を読んで理解しました。
このヒューリスティックは、労力をかけずにそれなりの答えを素早く出す際の手段として使われている
という事も書かれていました。
ここで私が2つの本に通ずるもの、それが「脳内コレクション」と「ヒューリスティック」です。
さらに言えば、「経験」ということです。
この「経験」「体験」のような自分の培ってきたものを、土台にいろんな行動がおこっている
ということに、改めて「経験」というものの重要性みたいなものを
改めたて気がついたように思います。
同じ「体験」だけども
ここで、私が感じたのは、同じ「体験」という言葉だけども、なんとなく違いがあるなと。
白鳥さんの本で出てくるような「経験」は、
「脳内コレクション」から、自分自身を作りあげていくような、独自性や、そのコレクションの掛け合わせで
面白い化学変化を起こしてくれるような時間を有して練り上げるような感覚です。
それに対して
「知識の穴」の「経験」は、何か素早く判断を下す際のスピード感を感じました。
つまり「時間的な違い」です。
その時間的な違いで、あり方が異なるのも面白いなと思いました。
「体験」から生み出されるマイナスな部分
先ほど、「体験」は重要だなと書いたのですが、それと同時にマイナスの部分もあるなということを
「思考の穴」で感じました。
(直接的に、「経験」がマイナスであるということではないのですが)
それは、
「経験」「体験」そこから感じる「親しみ」から、流暢にできるという錯覚や過信などが生まれる
ということです。(それが流暢性効果なのですが)
そして、著者曰く、例えその害を学習していてもそれだけでは足りないと書かれています。
ではどうすればいいのか?
本書の例を挙げると、「ただやってみる」のが最高の対抗策とあります。
それは再び「体験」してみるということになります。
脳内で考えて、判断するのではなく、実際にやってみよということですよね。
どちらにしても、いろんなことを実際に体験、体感していく重要性に尽きるのだと思います。
私ができる事
「体験」の重要性に気が付いたので、いろんなことを体験するということはやってみたいと改めて思います。
それと同時に、「これは簡単にできそうだ」とか、なんとなく自分の今までの雰囲気で軽く思ってしまう
ようなことが出た時は、少し考え直すというのが必要だなと思いました。
いままでの自分の経験でものを見ている可能性があるからです。まさに流暢性効果が出ているのだと。
脳内でやった気になるのではなく、身体を動かしてみる事。
取り組みで見ようと思います。
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