こんにちは。
今回は、
「なぜ認知症の人は家に帰りたがるのか 恩蔵絢子 長嶋徹」
という本を読んでみました。
そこで気がついたことは
認知症の人の生活をアシストすること、過ごしやすい生活を構築することと、
子供たちのそれらとも重なる部分がある
ということです。
それは自分が子育て世代であるという視点から気がついたことです。
そのあたりを参考にしながら、生活を構成していけば、もしかしたら全世代にとって、
優しい世界ができるのではないのかと感じたことがありました。
そのことについて書いてみたいと思います。
認知症の人々が身近になる世界
「認知症」という言葉をなんとなく知るようになってきた昨今です。
ですが、まだなんとなくまだ特別なもののような、そんな印象があるのは私だけでしょうか?
私自身、認知症の方とお会いすることもなくて、どこかまだ遠い話のように感じています。
しかし、よく考えてみると、日本は超高齢化社会を迎えることで、おそらく認知症になる人も、
今までよりの多くなるのではないかと思います。となると、身近な事として感じるのも時間の問題
のように思います。
実際本書にも
「認知症をもつ人の数は2025年には、高齢者の約20%を占めるやく700万人になることが
指摘されています。高齢者のうち5人に1人が認知症を発症しているという計算です。」
と書かれていてました。
私の印象だとかなり多いようにも思いました。
そうだとした場合、私達はもっと認知症に対して、知っておいてもいいだろうし、
その病気に対して「どうして」「なぜ」と思う部分に目を向けることは大切だと思いました。
実際この本は、そんな「なぜ」に対する答えや、ヒント、アシストの仕方などが、
脳科学からの視点、そしてソーシャルワーカーの方の視点から書かれてありました。
多角的な視点から見ることができるのはとても大切な要素だと思います。
私の思っていた認知症とは
まず初めに、私が思っている認知症という病気のイメージを書いてみようと思います。
私が思っている認知症とは、いろんな記憶をなくしてしまう病気だと思っていました。
脳の中にたくさん入れていた情報がどんどんと消えていくこと、
そして情報が貯めることができなくなること。
何もかもわからなくなってしまうもの。
そして、その人がその人ではなくなってしまうような病気です。
あくまでも私の勝手な想像です。
本を読んで、変わった認知症
しかしそれは大きく間違っているなと感じました。
私が特に恐れていた、「その人がその人ではなくなってしまう」というイメージ。
それは、大きく間違っていました。
ではどんなものなのか?
「記憶は失っても、その人らしさは失われない」
というものです。
そして、私がこの本を読んで感じたのは、
脳の中の記憶が削ぎ落とされ、その人が特に大切にしているものだけが、残っている
ということです。
大切なものだけ、すなわち、その人らしさだけが最後に残るという、
イメージです。
しかし、実際、認知症の人が家族だったりする方は、そのようなきれいな言葉だけでは
うまく受け止められない部分もあるというのは、未熟ながら想像ができる部分です。
そして、何よりも、ご本人が一番それを受け入れられないということもあると思います。
だからこそ、その不安や恐怖を感じ、その気持ちが大きくでてきてしまって、
感情、行動が今までとは異なってでてしまうこともあるのだということだそうです。
それは、健康な私たちだって、同じです。
その出力の大きさ、出し方がことなるだけのなのかもしれません。
そこで気がついたこと
不安や恐れで怒りがでてしまう、大声をだしてしまったり、私たちでは理解できないことをたくさんする
これって、何かに似ているなと思ったら、それは子供たちだなと思いました。
子供たちは、不安や恐れで泣き出したり、いやいやと言い出したりとします。
よくわからない事を、何度も繰り返して行ったり、決まった道しか通らなかったり
決まった服しかきなかったり。
そして、本書の中でも、いくつかそう思う部分がありました。
それは、認知症の人をアシストするポイントや環境の作り方と、子どものアシストする部分や環境作り。
例えば、
・うまく集中することができないので、気が散るようなものを片付けておくといい
・心の安全基地を作ること
・色々なことに挑戦すること、自分ですること
・気持ちをうまくいうことができなくなるから、その言葉を引き出すように周りの人がアシストすること
・その人が今何を望んでいるかをじっくりと観察すること
これらのことは、子供の環境を作る部分でも類似する部分だと感じました。
それに、育児書や子供を育てていく上のアドバイスなどでもでてくるフレーズのように思います。
そう思うと、子供に優しい世界を作ることは子供だけではなく、
認知症の方にも優しい世界ではないのかと思いました。
勘違いしてはいけないこと
このような考えは、一歩間違えると、子供や認知症の方をひとまとめにしてまっている
ような響きにもなりかねません。
そうではなく、
それぞれの人が、暮らしやすい、システムや社会の構築をすることで、
みんながそれぞれ気持ちよく過ごせる社会ができるのではないか
ということです。
そして、なにかしら特徴がある人に合わせたシステムや社会を構築できたなら、
自然と私達のような健康な人々にとっても優しい世界になるのではないかと思うのです。
難しいことだけど、、、
言葉にしてしまえば、簡単にできてしまいそうですが、
それができないから、現状なんだよ、という声も聞こえてきそうです。
確かにそうであると私も思います。
だけれども、少なくとも高齢者の方は今までにないほど増えていくという現状の中、
社会も変化を起こすことは必要なことだと思います。
ではそんな中で、私ができることは何か。
それは、私はたまたま子育て中です。
ということは子供のアレヤコレヤをこの目で見て、体験している最中です。
だからここでの経験、感じたこと、学んだこと、改善すべきことを真剣に取り組むだけでも、
大きく前進できるのではないかなと思うのです。
そして、いろんなケーススタディーを知ることをこれからも貪欲に行おうと思もいます。
今回もたまたまこの本に出会い、いろんなことを知ることができました。
ありがたいことに今は、本、映画、SNSなどたくさんのツールがあります。
そのことを知るだけでも、いろんな見方が変わってくるのではないかと思っています。
そして、最後に社会でできること、それは、
多くのカテゴリーに分けるのではなく、できるだけみんなが混ざる空間を作れると
いいのではないかと個人的には思っています。
自分と異なる属性にたくさん触れ合えば、その人たちのことを自然と受け入れられる
のではないかと思います。
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