先日、水族館に行きました。
平日にいったこともあり、課外活動だと思われる小学生高学年か中学生くらいの学生さんが
たくさん来ていました。彼らはみんなタブレットを手に持ち、生き物をスタンプラリーのように
どんどん写真に収めて動いていました。
タブレットでの写真、やはり令和の時代、使用するツールも私の学生のころとは
全く違うなと思いながら見ていました。
そんな時にふと読んだ本のことを思い出しました。
そこから私が考えたことを書いてみようと思います。
今回のキーワード
タブレット
スマホ脳
忘却の整理学
これは何の目的で使うのだっけ?
私が思い出した本
課外授業でタブレットを使用している学生さんを見て思い出した本は
「スマホ脳 アンデシュ・ハンセン」と「忘却の整理学 外山滋比古」です。
「スマホ脳」でも「忘却の整理学」でも、
いったん脳以外の別の場所に記録されると、脳が忘れるようになっている
というようなことが書かれていました。
どうやら脳は省エネモードのようです。
この水族館の光景とリンクすると思われる本の内容を一部参照すると
「スマホ脳」では
被験者グループに、美術館を訪問させ、何点かだけ作品を写真撮影し、
それ以外は見るだけにするように指示した。
その結果、写真を取っていない作品はよく覚えていたが、
写真を撮った作品はそれほど記憶には残っていなかったということが判明した。
脳は近道を選ぶ。「写真で見られるんだから、記憶にのこさなくていいじゃないか」
「忘却の整理学」では、
メモもノートも抜き書きも、忘れては困るから、その保険のために書き記されるものである。
しかし、いったん記録されると、安心して忘れることができる
と書かれています。
そこから考えてみると
二冊の本の共通のワードは「脳からその内容は忘れ去られる」ということだと思います。
そこから考えたあれこれ
そう思うと
せっかくの課外授業、自分自身の記憶に残るようにする方がいいのではないか、
ならば」タブレットを使用するというのは、どうなんだろうか?
というようなことを思いました。
もしかすると、私たちが子どものころよりも、課外活動の記憶は残っていないのかもしれないと思ったり。
その一方で
もしかしたら、この課外授業の目的がタブレットをしようするということなのかもしれない
もしかしたら、自分の記憶にも残しながら(しっかりと自分の目で観察して)、
自分にとって、とっておきというものを写真に収めようというのが
目的だったのかもしれない。
というような考えも浮かんできました。
そしてあれこれ考えた結果、最終的に思ったことは、
タブレットを使うことが云々とか課外授業が云々というよりは
目的をしっかり把握しておくことが大切なのではないか
ということです。
今回ので言えば、課外授業の目的、タブレットを使う目的を
子ども達がしっかりと理解しておく必要があるのだということです。
日常生活に落としこむと
この課外授業にかかわらず、
普段の生活においても、子どもにタブレットをどのように使用するべきなのか
というような親として頭を悩ませるようなことがたくさんあります。
実際にスマホ脳でも、スマホが私たちにどれだけの影響を与えているかということが書かれてありました。
だからこそ、スマホやタブレットとどのようにつき合っていくべきなのか、
それは自分なりに考えないといけないことなのだと思います。
その一つとして、
使用する目的を自分ではっきりさせたうえで使用する事
だと思いました。
このような問題は時に、ダメだとかいいとかそのような二項対立的な考えになりがちです。
そうではなく、
どうしていけば価値のある使用方法になるのかというような発想を
持つべきではないかなということも自分の教訓として考えさせられました。
ですので、これから子どもたちがタブレットを使う頻度が高くなると思いますが、
それはどんな目的で使うのかということを意識させて使うような
練習をしていこうかなと考えました。
おまけ
「忘却の整理学」という本は、簡単にいうと「忘却肯定」の本です。その中で書かれていたことで
「文字のおかげで、われわれは安心して忘れられるようになった。
忘却力をのばし、新しい思考を可能にした功は決して小さくない」
つまり、忘れる事で、別の発想が思いつくことができるということだと思います。
だとすれば、「記憶に残さねば」という意識は何となく負荷のある事だなと感じました。
きっと、タブレット云々という前に、自分へのインパクトが余りにも強ければ、
頭に自然と残るものだよなとも思ったりもしました。
課外授業出来ていた学生さんがどんな形であれ、楽しめたのであればいいなと思いました。
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