現在、感情プロジェクト(イライラや怒りに関する本を20冊読んで自分の血肉として
自分を改善しようという試み)をしています。
今回は、前回第二回でアンガーマネージメントで書かれていた
「体質改善」トレーニングを実際にやってみての
感想や思ったことを書いてみようと思います。
私自身にどんな変化があったのか、なかったのか。
「体質改善」トレーニングの内容
「体質改善」トレーニングとはどんなものなのか、以前紹介した本を参考に
簡単にまとめて書いてみようと思います。
プログラムには3つのパートに分かれます。
1、毎日する事
2、決められた日にする事
3、余力があればやる事
1,毎日する事
アンガーログをつけることです。
アンガーログとは、イライラしたことを、事実のみを文字で(見える化)記録するということです。
理科などで、朝顔の成長記録などをとった事があるかもしれませんが、
それの自分の怒りバージョンだと思えばいいかもしれません。
なので書くことは事実のみを書くということになります。
具体的には
怒った日時、場所、何があったのか、思ったこと、怒り温度(10段階で数値化)
となります。
一例として(私の解釈で記載)
小学生の子供が登校時間にもかかわらず、準備もせずにのんびりしている。私も声をかけているのに、なぜ急ごうとしないのか分からない。私の声が聞こえていないのか、のんびりマイペースに進めていることにイライラさせられる。怒り温度:6
という感じです。
2,決められた日にする事
具体的には本を読んでもらうのがいいと思いますが、
簡略化すると
自分ができることを決めたり、どのようになりたいのかゴール設定を決める
出来た事を確認する
自分が書いてきたアンガーログを振り返り、じぶんにどんな「○○べき」があるかを探してみる
というようなことを決められた日ごとに行います。
本には具体的に何日にどのようなことをすべきかがちゃんと書かれているので読んでみる事をお勧めします。
先ほどの例から、私の「○○べき」は何かを抽出してみます。
時間通りにいくべき
私の声掛けに反応すべき、態度に表すべき登校班の人を待たせるべきではない
これは私のオリジナルな方法なのですが、
一歩進んでほんとにその「○○べき」は必要か考える
ということをします。
例えば、
子どもに聞くと、時間になったら登校班の人は待たずに行ってしまうみたい。
ならば、その部分でイライラする必要はないかもしれない。
とはいえ、今の日本では、人を待たせないという風潮があることは伝えておきたいから、
その部分はきちんと話をしよう
3、余力があればやる事
役者になったように、
一日穏やかにふるまってみる日、
もしくは理想の自分になりきって演じてみる日
をそれぞれ設けてみる
ということだそうです。
実際に自分が行ってみての感想
アンガーログを書き始めて、わかったこと
1,子どものこと、そして自分の「ネガティブ感情」が多く怒りとして表れている
(”快”以外の感情は怒りであるという定義より)
2,自分の体調に大きく影響しているということ
3,怒りがパターン化していること
自分でもよく子どものことで怒っているなとは思っていたものの、書き出してみると、
毎日のように、同じような事、そして同じような時間で起こっているということが分かりました。
時間も夕方の時間、いろんなタスクが大量にある時はよりイライラしている事が多いことがわかりました。
また、生理周期によっても、イライラの度合に変化があるということも改めて分かりました。
子どものことなどは特にだと思うのですが、怒る以外の方法での解決を考えずに
反射的に怒っているのではないかと思うようなこともあるなと思いました。
先ほどの例であげた登校時間に関しても、毎日同じ事でその時間なったから怒っている、
ような感じになっているなと思いました。
またそれ以外に多くの時間、自分に関する「ネガティブ思考」をしているなと思いました。
○○しない方がよかったのかもしれない、とか自分はこんなことをしてしまったけどもとか、
時には人と比べて自分は、、、というような感情を抱くことが多いなと思いました。
自分がどうにもできない部分で悩んでいる事が多いのだと改めて理解しました。
以上から
子どものことに関しては、新しい方法、環境を模索してみる。
親の私がイライラしているその行動について、子ども自身がどう思っているかを聞いてみる。
話し合ってみる。
自分のネガティブ思考に関しては、自分を見つめなおす必要がある。
自分ができる事できない事から客観的に判断できるようにしていくことが必要である。
というようなことに気が付きました。
「○○べき」を考えてわかったこと
自分のべき論で多いのは時間に関してだと思います。
時間を守る、人を待たせないというのは、基本のことだと思っています。
でも前回紹介した「まあいいかで楽に生きる本 野本響子」の本などを読んでいると
世界ではそうではない国もあるということに気が付きました。
日本では当たり前でも、日本から離れたらそれが当たり前ではない知ったら、
私のべき論は正しいのだろうか、違う考えもあるのではないだろうかというようにに
すこし考えることができるようになったように思います。
この私のべき論がどのくらい重要なのかを考える事は、根幹にある大切な事、
自分が伝えたいことの核の部分を削りだすような作業なのかなとも思います。
そうすると、イライラという感情から一歩進んだ考えに到達するように思います。
穏やかにふるまうために丁寧語にしてみた結果
言葉遣いを、あえて丁寧語にして、穏やかにふるまうようにトライしたことがあります。
しかし、これは本当に難しかった、気が付いたらうっかりわすれてしまったり、
逆に反動で乱暴な言葉になったりとなかなか骨の折れるトライでした。
(ダイエットのリバウンドのようになってしまった)
ふと思ったのですが、茶道の所作、武道の礼儀のようなものは、これに似ているのかなと思います。
所作や礼儀自体が大切なのだろうけども、実際にそれらが自分のものになる、
自分の一部になるそのプロセスだと思います。
だから、自分の理想の人になれるよう日々精進すればはじめは胡散臭いように見えたり、
窮屈で嫌になるかもしれませんが、いずれはそれになるということなのかもしれません。
自分がこうなりたいという気持ちを持つ事で、徐々にお稽古ごとの様に身につくのかもしれません。
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