違う視点を与えてくれた子供とウ・ヨンウ弁護士

ブログ

私は、

自分の中の当たり前みたいなこと、

日々何気なくしていて気が付いていないことなど

を持ちながら生きています。

それで、円滑に回っていたり、その場をなんとなくやり過ごしている

だからそこには何も問題や疑問はないように思っている。

でも本当はそうでなかったら?それが大事な事だったら?

今回は、そんな言葉に目を傾けるきっかけをくれた事がありました。

それは、家族の何気ない一コマ、ネットフィリックスでみたドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」です。

そこから考えたことを書いてみたいと思います。

少し考えに偏りがある話かもしれませんがよろしければ読んでみてください。

そして色んなご意見をお待ちしています。

先日我が家に起きたこと~大人の理不尽さと子どもの寛大さ~

朝、我が家ではみんな揃ってご飯を食べます。

私は一足先に皿を洗いに席から立っていました。

そんなとき、夫さんが「あぁぁぁ」と言っていて、その感じから何かをこぼしたような感じがします。

でもその後は静かにこぼしたものを拭いているような感じがします。

この感じは子供がこぼしたのではないようです。

子供たちも、大丈夫かと心配そうに見守っているようです。

なんともない日常の一コマです。ですが、私はふと気が付きました。

大人の理不尽さ、そして子供寛大さを!

夫さんはだいたい子供がこぼしたら大きな声で、注意したり、何かしら小言をこぼすのが通例。

でも大人である自分がこぼした時はそんなことは言わない。

逆に、子供たちもそんな夫さんにいろんなことを言うわけではなく見守っている。

この行動の対照的な事。

(ちなみに、お恥ずかしい話ながら、わたしも夫と同じ状況ならば同じようにしています。)

 

子どもから色々と学ばせてもった

この日常の一コマから、私は子供たちというのは寛大だなと感じました。

子どもたちは親の私たちにいつもガミガミと言われている。にもかかわらず、

それでも同じように攻めるようなことはしない。

そして、人を心配するようなそんな優しい気持ちを持っているのだなと思いました。

 

そこで子どもたちからいろんなことを学ばせてもらったのです。

1,こぼしたことよりも、こぼしてしまったと思った人のことを考えて行動してあげること。

2,身近な人を大切にすること。

2に関して

私は家族には色々とガミガミ言ってしまいます。

もしも同じようなことが、家族ではない人だったら、間違ってもがみがみ叱る事はないと思います。

そこには、片付け云々というようなことを通り越して、ただ単純に心配している。

もしくは、家族にはなにを言ってもいいというような自分の甘えがあるが、

他者ではそれができない、しない。

ということなのかなと思います。

でもそれは何となく違うよなと反省させられました。

家族だから何でもいいということではなく、家族だからこそ大切にする気持ちを

持つ事も大切なように思います。

そんなことも子供たちに気づかせてもらったように思います。

ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を見て気づかされたこと

このお話は、主人公、自閉症スペクトラム症を抱える新米女性弁護士さんが奮闘しているドラマです。

その中でもはっとさせられたことがあります。

自閉症スペクトラム障害のウ・ヨンウから見た視点での、私達に抱く違和感のようなものです

例えば、ウ・ヨウンが、どうして顔では怒っているのに、口では怒っていないといういのか

ということを言うシーンがあります。

自閉症スペクトラムでは、言葉や、言葉以外の方法、例えば、表情、視線、身振り等から

相手の感情を事を読み取るということが不得手だそうです。

自閉症スペクトラムでない私達の場合なら、そのようなことは疑問にも思わず、

なんとなく察して、なんとなくその場をやり過ごしていく。

そのようなことをしているように思います。

でもふとそのような疑問を投げかけられると、たしかにと考えさせられます。

私達が普段何気なくしていることや当たり前にしている事に、疑問を投げかけてもらう。

そのことを考えていくうちに、新しい視点や視野が開けてくる。

そんなことを教えてくれたようにも思いました。

上記二つのことから考える

子供とか自閉症スペクトラムなど何らか障害がある方など、世間から見ればマイノリティーと言われる人々

だから、今の資本主義社会においては、弱い立場にあって、意見や行動をなかなかすくいあげてもらえない

というような一面があるかもしれません。

でも、だからこそ、私にはない視点、新しい見方、または忘れていたことを思い出させてくれる、

そのようにも思えたのです。

ついつい、日々の生活に追われて、自分中心でいろんなことを考えている節があります。

自分では、当たり前に過ごしているようなこと、正しいと思っている事。

でも、それはそうではないということを、優しく教えてもらったように思います。

そして、いろんな意見に耳を傾けれる自分でありたいと思いました。

みんな違ってみんないい

今回はたまたま同じ時期に、子供とのことがあったり、ウ・ヨウン弁護士の天才肌をみて、

自分の感じた事に共通項があったように感じたので、このような書き方をしています。

ですが、よくよく考えてみたら、というか忘れがちなのですが、

私と同じ人はいない、同じ考えを持っている人はいない。

のです。

だとすれば、すべての人からいろんな視点や考え方を学ぶ機会はたくさんあるということになると思います。

みんな違ってみんないい

金子みすゞさんの書かれた通り、だからこそいいのです。

みんな違っているから、いろんなことを教えてもらえる。

そのような気持ちで日々過ごせたらと思います。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました