最近、いろんなところで創造性、イノベーション等ということが言われています。
新しいものを生み出し、何かしら生産性があるものが当たり前、善である
というような感覚をうけることさえあります。
子育て中の方などでもそのような気持ちになる事はないでしょうか?
そんな時に、私は何も生み出してないし、何も前に進んでないな、停滞しているなと思うことがあります。
そのような、悶々とした時に、
今回読んでいた「思考の整理学 外山 滋比古」という本に
そんな私を勇気づけるような言葉が出てきました。
そこから考えた事を書いてみようと思います。
私と同じように、停滞していると思うような方、子育て中のお母さんなどにも
勇気を与えられるのではないかと思います。
勇気をもらった言葉
本当の人間を育てる教育ということ自体が、創造的である。
赤ん坊にものごころをつけるなどというのは、最高度に創造的である
思考の整理学 外山滋比古
という言葉です。
この言葉が出てきた文脈は、今まで知的活動の中心が記憶と再生であったが、
コンピューターが出てきて、それはコンピューターの方が圧倒的に優秀であり、
記憶と再生という面の人間的価値が揺らぎ始めた、人間が真の人間であるために必要なのは創造性だ、
というところで語られている言葉です。
この言葉に私は胸を撃ち抜かれた気がしました。
それと同時に自分の頭の固さに少し愕然としました。
自分自身が自分の創造性に気が付いていなかった
私は人間らしさとは何かを2022年から考えてきました。
色々な本を読んできて出てくるキーワードとして、創造的である、
ということが多く出てきたように思います。
何か新しい発想を、何かを生み出さなければならない。イノベーションを!
と声高に叫ばれている昨今です。
そうしていく中で私自身を振り返ってみると、何か生み出してきただろうか、
イノベーションというものを起こしたのだろうか、と考えてみました。
でも私自身そんなものはない。
私は現在専業主婦です。出産をしてからは、会社等に所属せずに、生活してきました。
家事をしたり、子どものお世話をしたりを繰り返し行っています。
外でお仕事をされている方は、それプラスお仕事もしている、
そして社会にも貢献し、お金も生み出している。
そんなことを思うと、私は何も出来てないような、停滞しているような感覚を受ける事があります
でも今回この言葉を聞いて、「そうか!私はしっかりと創造性のある仕事をしていたのだ」と思えて、
勇気をもらったような気がしました。
それと同時に、自分はどれだけ、創造性というものを理解していなかったのだろう
と思い知らされた気もしました。
大きなことがえらいと思っている自分がいた
私が思っていた創造性というものは、何か大きなことをする事、
のように思い込んでいたのだと思います。
そして、それが素晴らしい事だと思い込んでいたのではないかと思います。
私は、
子どもたちや旦那さんが心地よく過ごせるように、家事を行っています。
どのように導線を組めば、みんなが動きやすいか、使いやすくなるか
どんなものご飯を作れば、栄養的にも、満足感もえられるか
いろんなことを工夫しながら家事をしています。
子どもたちが幸せに過ごせるように、自分なりに考えながら、子どもたちを
育てています。
子どもが何が楽しそうなのか
子どもがどうすればその好きをもっと楽しめるのか
宿題などやらなければならない事をどうすれば、楽しく取り組めるようになるか
どのようなことが子どもたちにとって幸せなのか
この様にいろんなことを試行錯誤しながら、子育てに取り組んでいます。
このような、家事や育児のことは
大きな枠組みから見れば、これらのことは些末なことかもしれません。
でも、この行動が、家族のプラスの方向に役立っているのであれば、
それは社会に貢献している事ともいえるし、創造性を発揮していると
言えるのかもしれません。
そのように思っている自分もいたのですが、でも
自分の心のどこかで、
これらの生活の小さなことを軽んじていた部分があるのでは、
ということを発見することができました。
小さなことが新たなものを生み出している
さらに言えば、私は創造性というものを、特別視していたのかもしれないということに気が付きました。
人間らしく生きていくことは、人間にしかできない、という点で、すぐれて創造的、独創的である
と同書に書いてありました。全くその通りだと思います。
人間らしくとは何でしょうか。
私が思いついたのは、
人に親切にすること、優しい言葉をかける事、何かしら手を差し伸べる事、
つまり、誰かのことを思い、何かを考え、何かをする事、
こうした一見小さな行動、自分で何かを考え動かし、
そして、他の人に影響を与えるということは立派な創造性であると今では思います。
毎日生きていて、何気ない行動が、創造的であるという、何かしら希望をもらえたような気がします。
まとめ
外山先生の言葉から、二つのことが分かりました。
一つ目は、私たちのような子どもを育てている人は、素晴らしく創造的な仕事であるということ。
二つ目は、人を思って、行うような行為(例えば、落ち込んでいそうな人に、優しい言葉をかける)もそれも立派な創造性であるということ
そのように思えば、何か勇気が出てくるような気がします。
まずはその身近なところからの一歩を大切にしたいなと思います。
コメント