もう2月。そろそろ一学年も終わろうとしています。
小学2年生わが娘は、相変わらずマイペースな成長を続けておりまして、
さらに言えば、全く変化のなかったことがあります。
それは筆箱の中に、いつ見ても、がらんとしているということです。
具体的に言うと、筆箱の中にはたいていちびた鉛筆一本、
たまに青色鉛筆とマーカーペン(普段あまり使ってないと思われる)が入っている事があったりなかったり。
消しゴムはない、他にも何本か鉛筆を入れているはずなのに帰ってくるとなくなってる。
これ、おそらく、筆箱にきちんと戻してない、すぐになくす体と思います。
そんな彼女から、学んだことがありましたので今回そのお話をしてみようと思います。
同じような境遇の方、ぜひ読んでいただければと思います。
もしかしたら、きちんとした筆箱でなくても、それ以外のすごい力を
子どもたちは持っているかもしれません。
そんな彼女への私の対応
そんな風に、毎度毎度空っぽに近い筆箱を持って帰る彼女に、私はもちろん声掛けをしていました。
「なくなってるから探しておいで」
「どこかに入れてるいるの」
「使い終わったら筆箱に入れたら」
とか、そのような一般的なことです。ですが一年生の時から一向に治らない。
むしろ、一年生のときの方がきちんとしていたような印象すらします。
更には、なくなったら、補充もしていました。(何度消しゴムを買ったのかわかりません)
でも、毎日言ってもどうもこうもならなので、これは自分で「困ったな」と自分で体験しないと
私の言っている事がわからないのかもしれないと、ないならないままにほっておくことにしました。
そしたらどうなった?こうなった!
でもでも、不思議なことに、なにも困っている様子は見当たらない。改善する事もない。
私はびっくりしました。
私が同じ状況になったら、一日不便な思いをするだろうし、困ってしまうだろうから
きちんと準備しようとなるに違いないと思うのです。
でもそうはならない。つまり彼女は全くこまっていないのです。
どうしてか?!
ある日娘に聞いてみた。
私「消しゴムはどうしているの?」
娘「お隣さんに借りた」
私「赤鉛筆はどうしたの?」
娘「赤鉛筆なくても鉛筆でまるつけできる」
私の中には全くない解答!!!
私は誰かに借りる事なんて考えた事もなかったし、忘れても平気で貸してが言えない、
忘れる事が怖くって、前日しっかり確認する(そんな子供だったように思います)
赤鉛筆でまるつけた方が、分かりやすいし、先生も赤でまるつけようというのだから、その指示に従う。
私の考えとは正反対だったのです!
でも待てよ!
でもよく考えてみれば、
本人が困らないのであれば、それは本当に必要な事なのだろうかと。
消しゴムなくても、書き直すことは出来るし、
(アメリカでは消しゴムを使う人は少ないと聞いたこともある)、
まるつけだって本人が分かればいいのだし
(彼女本人はあってても間違っていても、まるをしているから判別は不要。
そもそも直したり、見直したりする気もないのです、良くも悪くも)
もちろん、学校では基本的な事として、そう教えているのだと思いますし、
それに対して、どうだこうだということはありません。
そのようなことがあるということも、子どもには知っていて損はないと思います。
ただ、本人がそれでいいのならそれもまたいいのだ。ということを
子供から教えてもらったような気がするのです。
友達に忘れたから消しゴムかしてと言えること
→助けを求めることができる力 誰かに頼れる力
赤鉛筆、消すゴムがなくても本人なりに何としている
→何かがなくても、なんとかその場をしのげる力、ものに固執しすぎない力
そんな力を娘は持っているのかもしれないと思えたのです。
そんな彼女を見て私を俯瞰してみると
一方親の私。
誰かを貸してを言えない私
→人を頼る事ができない(子供が赤ちゃんの時、夫さんにうまく頼れなくてつらかった時期あり)
規則に縛られて、その規則にがんじがらめにされている
→これでよいのか、あれでよいのかと不必要なことまで考えだす始末、自分らしさを失くこともしばしば
その観点で見ると、私の方が生き抜く力、サバイバル力は弱いなと感じました。
もちろんこのようなことは、表裏一体でいい面があれば悪い面があるわけです。
だから良い悪いで判断するものではありません。
人は成長するにつれ、考え方も行動もどんどん変化していきます。子供ならなおさらです。
私もいろんな段階を経て、どうしても周りのことを考えたり、体裁を気にしたりという、
周りを意識した動きに変化していったように思います。
ただ、今回は、今を生きている子どもに、なんだか勉強させてもらったような気がしました。
そこから感じた事
そこから感じたのは、もう少し柔軟に、私も生きていいのかもしれないなということです。
そして、そんな力を持ち合わせたわが子の才能をつぶすことなく子育てできればいいなということです。
いつかは、その才能も変化してしまうかもしれませんが、こうして子どものあり方を見ながら
私自身見直し、変化できるようにしたいなと思いました。
筆箱の中身はやはりきちんと整理整頓できるようにはしてほしいので引き続き、
いい続けていこうとは思います。
おまけ・ちょうどいいタイミングで出会った言葉
こんなことを思っているときにちょうど見ていた
『舞妓さんちのまかないさん』でいい言葉がありました。
梓お母さんの「母親失格やな」に対して
お母さんが言った言葉
「あの子のええところをまなばしてもらったらええ」
という言葉。(おかあさんの優しい口調でより一層この言葉が私の胸に響いた)
しみじみ「そうだな」思いました。
こどもにまなばせてもらおう!
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