以前からAIについて考えてきました。
AIが人間を超えてしまうというディストピアな世界観もあるということを
知りました。だからこそ、人間らしさというものをもっと知るべきだと考え、
人間らしさとは何かということも考えてきました。そして、今も継続中です。
現在AIは絵を描くことができ、ポスター等は人間が書いたものかどうか
分からないようなレベルのものまで出来上がっているということです。
更には、音楽なども作曲できるものもあるとか。
創造性を必要とするジャンルにおいてもAIが浸透してきているという事実に
すごく驚きと戸惑いを感じてしまいます。
とはいえAIの大いなる可能性があり、そこから何かしらの進化や進歩があるだろう
ということも理解しているつもりです。
ですが、私が密かに希望していることということがあります。
それは、AIが幾ら進歩しても、人間独特の、人間だけが持っている誇れる何かがあるのではないか
ということです。
私の独断と偏見という考え方ですが、人間の秘められた力のようなものを感じているからこそ、
ビックデータ、情報だけで作られた世界では到底手に入れられないようなものがあると思っています。
そのようなものがあってほしいと希望しているのです。
私が思っている「その何か、その希望」となるような本
そのような中で、私が思っている「その何か、その希望」となるような本にでありました。
それは
人間の未来AIの未来 山中伸弥 羽生善治
です。
この本は2018年に書かれた本なので、AIの世界も大きく変わっているかもしれません。
しかし例えそうであっても、私の希望を照らしてくれるような部分がありました。
山中伸弥さんも、羽生善治さんも、非常に有名な方です。
私が感じるには、お二人の職業(?)、突き詰めておられることが、私から見ると大きく異なるお二人。
その方たちの対話には、それぞれの視点からのお話がとても面白かったなというのが
率直な感想です。
その中で、私が注目した部分について考えていきたいと思います。
人間の美意識が選択肢の幅を狭める
私の要約を書いてみると
羽生さん曰く、将棋の時に、人間の棋士は、いろんな選択肢があったとしても、
「美しくない」とか「形が気に入らない」という理由で、その選択肢を選ばないことがある。
でもAIの場合は、網羅的で盲点がないだけに、そのような人間の美意識にはそぐわない手でも
提示する事がある
ということです。
ここで私が注目したこと、それは人間の美意識というところです。
勝つだけではなく、美しさをも追い求めていく。
私が勝手に想像する事ですが、このような美意識というものは、将棋をしていく中で、
自分のスタイルや美学みたいなものが生まれたり、見つけたりする物であろうと思うのです。
一期一会の勝負の中で、人間の感性や直感、その時の空気感のようなものが、
混ざりあって出来てくるもののような気がします。
それは、ある瞬間に自分の中から出てくるような、、頭で考えているというよりは
感覚的なものではないかと思うのです。
AIのように網羅的にデータがそろえば、その中の最適解というものが見つかるかもしれません。
さらに言えば、今まで見た事もない手を生み出すかもしれない。
そのような新しい可能性も秘めてはいる。
だけれども、それを人間の感覚、直感で美意識まで取り込んだ判断できるということに、
私はとても魅力を秘めていると思うのです。
美意識が、選択肢の幅を狭めているというのは、瞬間的にはネガティブな感じも受けましたが、
だからこそいい、という感じもあるのではないかとも感じるのです。
更に面白いと感じたのは、美意識から外れる事があったとしても、
AIを排除するというのではなく、将棋の世界ではAIを相手に将棋をすることで、
AIからいろんなことを勉強しているというようなことも書かれていました。
AIの良い部分は自分のものとしながらも、全てを機械に頼るということではない形。
最終的に判断を下すのは人間であるという形。
これはAIとの共生というか、良い活用方法ではないかと思いました。
そのためにはやはりある程度人間に判断できる能力が必要であるのだということも学んだ気がします。
AIは言い訳はできるのか
これも非常に面白いなと思いました。
本文に書かれてありましたが
専門家の方が口を揃えて言うのは「決定までのプロセスがブラックボックスだ」ということです。
だからこそ、AIにはちゃんと言い訳が出来るか、が必要であるということなのですね。
「なぜ」「どうして」の部分に答えてほしいという欲求は、誰しも少なからずあるように思います。
本書にもありましたが、よくわからないのにAIがこの手術をしましょうと言われても怖いですしね。
きちんと理解出来る、もしくは、この人なら任せても大丈夫という何らかの信頼感のようなものが
必要になってくるだろうと思います。
この信頼感のようなものって、培われていくものだと思うのです。
ボタンを押してポイって出された答えにすぐに納得行くかと言われてもやはり納得いかないというか。
逆に、例えその回答が間違っていたとしても、この人が言ったことだからということで、
受け入れられるということもある。
互いの関係性で成り立っていくということが、人間社会においてはまだまだ大きな部分を
占めていると思います。
もしかしたら、AIが存在する世界が当たり前になってしまって、理由など分からなくても、
AIのいうことを真に受けるというようなこともあり得るのかもしれません。
だとしても、やはりその人とその人が共に過ごした時間だったり、空間だったりして、
信頼感というか、納得感というかそのようなものを育てるプロセスというものが
必要な気がします。
このような過程は、私が思うには、今のところ、人間特有の物ではないかなと思います。
そしてこの部分は、AIには、理解できない部分ではないでしょうか?
「信頼感」のような気持ちに基づくことは、人間の秘められた力の一つではないかと思ったりします。
(追加で考えましたが、気持ちに基づくものは、動物や植物にもありますね。
生物にとって大きな秘められた力のような気がします)
まとめ
少し分かりにくい話になってしまいましたが、
美意識、それから信頼感や納得感のようなものではないか
と思いました。
ですから私がこれから養っていきたいものとして、
この二つを特にフォーカスしていこうかなと思っています。
この様に書いてみると少し大げさな感じになってしまいました。
そんなたいそうな事ではなく
自然を愛でたり、美術作品をみたり、本を読んだりしていろんなことを感じること。
家族との時間にありがたいと思うこと、大切に過ごす事を心がけていくこと。
まずはここからスタートして、さらに人間らしさ、人間の秘められた力のようなものを
考えていこうと思います。
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