ウェルビーイングを考える

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たまたま読んだ本がとても面白かったので、

今回はこの本に関して思うこと等を書いてみようと思います。

ウィルビーイングを考える事、それはもしかしたら人間らしさにつながるのではないかと思います。

面白かった本とは

「むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました 石川善樹×吉田尚記」

という本です。題名からしてとても面白そうですよね。

副題に日本文化から読み解く幸せのかたちとあります。

ここも非常に興味深い!

最近では、日本はもう終わりだというようなことをネットなどで見るような事もあり、

何とも言えない悲しさを覚えていました。

しかしながら、多くの人が望んでいる幸せというものが、日本文化から見えてくるという!!

これは読むしかないだろうということで手に取ってみました。

そもそも「ウェルビーイング」とはなんぞや

最近注目されるようになってきた「ウェルビーイング」

調べてみると

1948年の世界保健機関 (WHO) 憲章における定義:

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」

https://japan-who.or.jp/about/who-what/identification-health/

“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”

と書かれていました。

分かるような分からないような、、、

また本書には

「ウェルビーイング」は日本語の解釈が多様でふわっとした概念であり、一言でこうとは提示しづらい。

「幸せ」と重なる部分は多いものの、微妙に異なります。

また人間が対象の学問ですから、時代や会社が移り変われば中身も大きく変化します。

とあります。

幸せとも異なる、心の充足感のようなものなのでしょうか?

抽象的ですが、ふわっと心が包まれるような柔らかな感覚なのでしょうか?

個人によってこの感覚も違うので、この様に一言ではまとめられないような感覚なのでしょうか?

どちらにしても、何か、はっきりと定義できない、自分だけの感じるもの??ということになると思います。

本書の吉田コメントには

「ウェルビーイング」は、一部省略、「イキイキ」がしっくりきます。

自分が自然とイキイキする時間は何をしている時だろう?

とあります。
ここからも、ウェルビーイングは自分にとってどうであるか。

自分がより良い状態はどうであるかという、周りに対してのアプローチではなく、

自分の気持ちにフォーカスする物であるように思います。

日本文化からという視点で見たこの本の面白さ

そのような中で時にこの本で非常に面白く感じた事は、

日本文化からウェルビーイングを考えているところにあると思いました。

日本の昔の考え方、文化が実は、この横文字のウィルビーイングに繋がっているのではないか

という視点は非常に面白いと思いました。

昨今、日本はもう終わりだというようなショッキングな事もささやかれています。

でも、お金では、買うことができない、こうした精神的な充足感、いきいきとしたそのような状態、

そんな人間らしさに繋がるようなウェルビーイングの考えが、日本文化の中にあるとするならば、

素晴らしい事のように思うのです。

具体的にどのあたりが面白いと感じたかというと

昔話、古典から学ぶウィルビーイングということで、

日本の昔話には、ゼロ地点へ戻る結末が多く、そこから他者への変化を求めるのではなく、

ありのままを受容するという精神がみれる

という部分です。

なるほどと思ったことがありましたので例を挙げてみたいと思います。

子供が好きな話で、まんじゅうこわい、という話があります。

若者たち4人が自分が怖いものは何かと話していると、

その中の一人のある男が「まんじゅうが怖い」といい

その他の3人がある男を怖がらせようと、ある男の寝床にまんじゅうを置いておく。

そうすると、、ある男が「こわいこわい」と言っておいしそうにまんじゅうをたべてしまう。

そうするといたずらを仕掛けた一人が「お前嘘つきだな、ほんとは何が怖い」と聞くと

ある男は、「あついおちゃがこわい」というというおちで終わる話です。

確かに何かの進展が起こるわけでは決してない。

シンデレラの様に素敵な王子様に出会うような劇的な進展はありません。

そしてこれは私の感じている事なのですが、この若者たちはきっとこのなにげない関係を

続けていくようなほのぼのとした感じがします。

決してぎすぎすした感じではないでしょう

ある男もきっと周りからあいつはしょうがないやつだなという感じで

受容されるんではないかと感じるのです。

なんとなくこの世界は愉快な感じの日常が出ているように思うのです。

そんな部分がなんとなく読者である子どもにも伝わって、子供も好きなのかなと思います。

確かになにかほっこり、そして幸せな感覚になります。

日本の可能性とそこから人間らしさとは何か

本書を読んで分かった事は

日本文化には日本的なウェルビーイングがすでにあるということ

そして、日本的なウェルビーイングは西洋の文化、考えとは異なるということ

です。

だからと言って、日本的ウェルビーイングが海外に受け入れられないとも限らないと思うのです。

世界全体がdoingに重きをおいている中で、少しこの考えに違和感を感じている人も

多くいるのではないかと思います。

日本文化からみるウェルビーイングがもしかしたら世界に受け入れられることも多いかもしれません。

そして、日本文化をもっと深めてみていくことは、もしかしたら新たなウェルビーイングのヒントにであえる

チャンスかもしれません。

そして、ここにいるbeingというあり方は、本来の人間らしい姿ではないかとも感じるのです。

人間は自分で自分のことを理解する事はなかなか難しい。

互いに人がいる事で、自分を知る事になると思うのです。

ただそこにいる、そうして互いを理解していくというのは、

AIではなかなか難しいのではないでしょうか。

このあたりの考えを深めていけば、人間らしさというものを

もっと理解することができるのではないかと感じています。

私の今後やってみたいこと

この本で、ウェルビーイングにおける日本文化の可能性、そこから人間らしさへのヒントのようなもの

を得ることができたように思います。

なので、日本文化を少し勉強してみようかなと思っています。

まずは、日本の文化でぱっと思い出すのが、茶道、でしたので、(少し安易な感じもしますが)

このあたりの本を少し読み進めています。

はっきりと言葉に出来ないのですが、本書に書かれていたこととと茶道の本で書かれている事と

通じているなと感じる部分もあります。

具現化出来なのですが、ウェルビーイングがほんの少しだけ分かったような気がしています。

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