戦いごっこについて考える3(最終章)

今回は、「戦いごっこについて考える」の最終章です。

第二回では、私の経験から、子どもは、戦いごっこのような強いものに憧れがある。

そして子供には、発散すべきエネルギーのようなものを持っていて、

そのエネルギーを発散しきれない場合戦いごっこなど身体を動かす形で

発散しているのではないかという仮説を立てました。

その場合、デンマークでは戦いごっこのようなことをしない場合

(もちろんスポーツなどをすれば発散出来そうですが)

どのようにして、そのエネルギーを発散させているのかという疑問を立てました。

戦いごっこについて考える2
前回は戦いごっこについて、三島菜央さんの書かれている noteの記事より興味深いないようをみつけたということ、 そして私の考えについて、書いてみました。 今回は、それとは別に自分の身に起きた事から、戦いごっこについ...

その答えについて考えてみました。

デンマークと日本を少し比較してみる

前回のブログで取り上げた本、「デンマーク人の自由な生き方暮らし方〔子育て編)」

に戻って、デンマークと日本ではどのあたりが異なるのか考えてみました。

2点あげられるかなと思います

1,デンマークでは、親が絶対に子供を怒鳴らず、感情的に怒らない。
2,デンマークは自主性を重んじる国である。

ではそれぞれ深堀してみようと思います。

 

まず1つ目の

デンマークでは、親が絶対に子供を怒鳴らず、感情的に怒らない

について考えてみます。

その根本の考え方に、子供であっても大人であっても皆、平等な人間である

ということがあるように思います。

日本でもそんなの当たり前の考えだよと思われると思います。

しかし、デンマークでは、(正しい表現かは分かりませんが)もっと厳密に、

そして、その精神が染みついているような印象をうけました。

男女、親子、大統領、政治家、教師などなど、全て「偉い」ということはなく皆平等です。

一例をあげれば、日本であれば、政治家の方に、先生等と言って、少し立場を

上に見るなどということが見受けられます。

実際、先日何かの番組で、高校生に政治家とはどんな人か聞いていましたが、

その時も、「偉い人」という回答がありました。

(日本では、どうしても敬語という文化があるので、知らぬ間にそのような感覚になって

しまうな文化的背景があるのかもしれません。)

デンマークではそのようなことはないようです。

例えば、政治家の人のことも、政治に関する事が好きな人、というような認識だそうです。

好きだからその仕事をしているというような人だと、私は理解しています。

だからこそ、子供であろうと、一人の人間としてきちんと対話をして、

互いに納得できるようにするようです。

もちろん、日本でもそのような家庭もあるとは思います。

でも、私は特にですが、デンマーク程厳密に平等な人間として接しているか

と言われれば、危ういかもしれません。

私も、子供とか関係なく平等だという意識しているものの、出来てないと感じる事は多くあります。

例を挙げると、はじめは子供と冷静に話しているけれども、最終的には感情的になって、

納得させるではなく、「いい加減にしなさい」などと頭ごなしに叱っている事も多いです。

これは、結局、親である私の力で、子供の意見を聞かずに、ねじ伏せる感じですよね。。。

それを考えると、デンマークとの大きな差があると考えさせられます。

 

2つ目の、

デンマークは自主性を重んじる国であるということ

本書には以下のように書かれてあります。

デンマークの保育園には、驚くことにその日の予定というものがありません。

保育園に来たら、みんな好きなように一日を過ごします。

また先生たちも子供たちと遊ぶというよりはリラックスしてコーヒーを飲んで談笑している。

何か問題が起きてもすぐには対応せずに、子供達にある程度任せている。

というような内容です。

驚くほど、日本とは本当に異なります。

私の子供の通っている幼稚園は、きちんと一日のプログラムが組まれていて、

それに沿って行動しているようです。

よく考えると、子供たちが、決められたことをその通りにしているというのは、

子供によっては、窮屈に感じる子供もいるかもしれないなと思います。

私の考え

この2点から、戦いごっこをしなくても、エネルギーを発散させている理由、

が分かった気がしました。

1,本能的に戦うという気持ちが起きたとしても、それがどういうことなのか、
大人がじっくりと話したり、対話する事で、腹落ちして、
戦うことを遊びとしてもやってはいけないと理解している。
2,自主性を重んじているからこそ、自分が好きなことを好きなだけできる環境がある。

話が逸れますが、「戦いごっこについて考える1」で私は戦いごっこで学べるものとして、

身体に受ける痛みだったり、そこから学べる手加減だったりがあるのではないかと考えていました。

デンマークでは、大人の先回りをさける事により、子どもの状況を観察し、

必要があれば対応するということによって、園内で既に私が考えるそのようなことは

学んでいるのだと思います。

そうなれば、戦いごっこというようなことをしなくても、

保育園や幼稚園の生活で、自分自身の気持ちが満たされている。

だから戦いごっこのような激しい事をしなくてもエネルギー発散が

出来ているのではないかと感じました。

まとめ

デンマークでは、戦いごっこを知るという機会も少ない、自主性を重んじ、

人はみな平等という考えが根本にある。

日本では、戦いごっこをイメージ出来るコンテンツも多くあるため、

そこから憧れ、その一環として行っている可能性がある。

幼稚園等は、自主性よりも協調性を重んじる気風がある。

協調性もとても大切であると同時に、その一方でこの形を窮屈に感じる子供もいるかもしれない。

もしかしたら、そこで発散できていないエネルギーを、

別の形で発散させている可能性がある。

以上のことから、デンマークと日本ではすでに生育環境が大きく異なっているので

子供達のあり方が異なってくるのではないかなと感じました。

そしてそれに伴い、親の子供への接し方も変わる可能性も大きいかもしれません。

今回のことで、学んだことは、いかに生育環境が異なったとしても

デンマークのような子供を一人の人として尊重する事、

言葉できちんと伝えあうということは大切だと思います。

そうすれば、人を傷つけてしまうような身体の接触をせずとも、

別の形で、エネルギー発散をして楽しむことが出来ると結論付けました。

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