前回は戦いごっこについて、三島菜央さんの書かれている
noteの記事より興味深いないようをみつけたということ、
そして私の考えについて、書いてみました。
今回は、それとは別に自分の身に起きた事から、戦いごっこについて考えてみました。
実体験を元に考える戦いごっこ
別の観点から、私の戦いごっこについて考えてみます。
私はよく子供と公園に行きます。子供とともに走り回ったりすることもあります。
だからなのか、見知らぬ幼稚園児も私とともに遊ぶというか、
この人なら何かしても大丈夫そうだと思われたのか、
戦いごっこを勝手に仕掛けられました。
それの戦いごっこは私の許される範囲を超えたものです。
石を投げてきたり、木で叩こうとしたりととっても乱暴なものでした。
正直こっぴどく怒りたい気持ちもありましたが、ぐっとこらえました。
そして、ひとまず一度、「武器を使うことは、良くないことだ。とても危険だし、
周りの人に当たっても危険だ」というようなことを注意しました。
しかし、まだやってきます。何度かやめるように伝えますが、どうしても止まりません。
私が、その子に感じたことは、自分の中のエネルギーを発散させたいような雰囲気がありました。
まだまだ何か動きたいような、何か戦いをしたいような。
だから私は、「ならば素手で戦いなさい、ここめがけてパンチしなさい」と手のひらを出して、
ボクシングみたいな感じで闘いを申し込みました。
素手であれば、痛い思いをするのは私とその子だけです。
まだ幼稚園児ですし、私が痛いと言っても耐えられるレベルです。
そうするとその子は本気で何度も何度もパンチしてきます。
自分も痛かったのか、自分なりに満足したのか
この戦いごっこは終わりました。
ここから考えた事は、
(つまりエネルギーを発散させたいという気持ちがあるのではないか)
でした。
だとすると
と結論づけました。
それが戦いごっこである必要は全くないと思います。
戦いごっこをしなくても、穏やかに過ごせている子はたくさんいると思います。
大人も同様で、大人になっても戦いごっこをしている人というのはまれだと思います。
別の方法で自分のエネルギーの発散する場所を獲得しているのだろうと考えています。
となると、戦いごっこのような身体を使ったエネルギーを発散させる場がない場合、
デンマークの子供達は、どのようにしてそのエネルギーを発散しているのでしょうか?
戦いごっこ以外のどのような方法で子供達の心が満たされているのでしょうか?
そこに、戦いごっこを上手く回避する方法があるように思います。
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