前回私は同じ学年でも年代によって学力の差が出てくるのでは?
という疑問を持ち、いろいろと調べていくと、そこから、新たな疑問が生じました。
そんなあたりを少し考えてみたいと思います。
調査と考察
子どもの教育、学校の勉強に関して少し疑問がわいてきました。
それは同じ学年でも、個人個人を見れば能力の差(理解力の差??)、
(娘であれば少し理解するのに時間がかかる)
興味関心の違いがあります。
にもかかわらず、今のような学校のやり方では、少し難しい事も出ているのではないか
という考えに至りました。
そこでまずは日本国として教育の在り方、進め方を指針としているのかを知りたく
学校教育に関する省庁して文部科学省があるからそこのHPを見てみました。
そこに、学習指導要領について書かれていました。
「学習指導要領」とは、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、
文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。
およそ10年に1度、改訂しています。
子供たちの教科書や時間割は、これを基に作られています。 文科省HPより
学習指導要領から私が感じた事は
学校の授業についていけば、ある程度の水準の学力は身につけられる
みんなが足並みをそろえた方向性が感じられる
⇒先生たちもそこを目指した授業形態を取る事になる、
ということです。
学校で習うことをしっかりとマスターできていれば、
数値として図れる勉強はマスターできるのだから、
やはりそこはきちんと押さえておきたいと思いました。
しかし、少し不安な部分は、新しい時代の突入、一例をあげると、
ダイバーシティーの考え、VUCA(ブーカ)な時代では、
一律であるかたちは少し限界もあるような気もします。
というのも、世の中の流れである、みんなそれぞれ個性があり、
それぞれを尊重しようと言いながらも、
一律=同じ型に入れ込んでいくということになっていくような気がするからです。
出来る子がいれば出来ない子がいてもいい、自分が好きな事得意な事を伸ばしていくこと
もあっていいようにも思います。
娘で言えば、少し理解するのに時間がかかるところがあります。
だとすると、同じ枠組み、基準に入れ込もうとすると、そこからは出てしまう可能性があります。
そうすると、親の私もしかりですが、焦りが生じてくる、
もしかしたら、先生もその基準を満たすようにしないと焦りが生じるかもしれません。
逆に理解度が速かったり、勉強がどんどん好きな子であれば、今やっている事がもしかしたら、
つまらなすぎる事があるかもしれません。
そうなると、せっかくの興味関心の力が減速する事があるかもしれません。
学校の勉強のやり方の一つの提案
そのように考えると、一律に設定する事よりも、
その子に合わせてカスタマイズできるような勉強の仕組みがあればいいのかもしれません。
算数の計算問題や国語の漢字などは、教えるというよりも反復練習の部分も大きいように思います。
そのような問題に関しては自分でそのあたりを選べるシステムがあれば、
自分のレベルに合わせることができるかもしれません。
学校にみんなが集まる意味についての提案
しかしそればかりでは、なぜみんなが集まって勉強をするのか?ということになってしまいます。
システムが十分であれば、家で勉強すれば学校の必要性はないのかもしれません。
もちろん、学校に行きたくない、いくことができない子供さんにとっては
そのようなかたちはとてもいいと思います。それも一つの選択肢です。
しかし、私の娘の様に学校が好きな人にとっては、どのような形がいいのでしょうか?
そもそもみんなで集まって何かをすることの意味とは何なのでしょうか?
色々と自分なりに考えてみると、
その場に集まった自分とは違う個性を持つ人々と共に過ごして、
いろんな事を自分なりに考えることができる。
いろんなものを一人ではなく、みんなで創造することができる。
自分一人では分かない事を人から教えてもらえる。
自分以外の人を見て、刺激をもらえる。
を思い浮かびました。
そうなるとその部分を、生かした事を行うのが重要であるように思いました。
“共に何かを創造する事、自分のすきを生かす事、それをみんなが感じる事。”
例えば、何か自分たちで考えたテーマについて、色々と発表してみる。
調べる事が好きならば自分で調べてみる。調べる事が得意でなく、
絵が得意な子は絵でそれを発表してみる。
ダンスが得意な子はダンスで表現してみるなど。。。。
何か自由に出来る時間が合ってもよいのかもしれないと思いました。
もちろん私が無知なだけで今、そのような授業は一部行われているのかもしれません。
でもやはりどこか、答えがあるような、評価、数値化しやすいような授業のあり方に
比重があるように思います。
まとめ
私のあくまでも考えで、偏った考えかもしれません。
ですが、微力ながら自分なりの考えを持つ事は必要だと思いましたので考えてみました。
上記のことをまとめてみると、
学校の勉強とは何か?
学校の勉強をマスターしていれば、読み書きそろばんといったあたりの道具は
きちんと手に入れることができる。その道具を得るために、
その人のレベルがあるのでそれぞれに合わせた、
システムを構築してそこから自分で選べるシステムが合ってもいいかもしれないと考えました。
学校でみんなで集まる意味とは何か?
自分とは違う個性を持った人々に出会い、
違いがあるということを知ること、
いろんな価値観を知ること、
そして、そのような中で創造する事であると考えました。
これはあくまでも自分につたない見識の中から、自分から見える世界の中で考えた事です。
私以外のいろんな意見や考えがたくさんあると思います。
ですので、そのあたりを色々と調べてみようと思います。
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