『竜とそばかすの姫』ー弱きものにされてしまったものー

映画 チャレンジ報告

今回も『竜とそばかすの姫』の映画から、ケア利他について考えています。

前回は、「ルカ」について考えてみました。

「ルカ」は、彼女はクラスの秩序を作るという特別な存在で、

そのような立場でしかできないゆらぎのケアが存在するのだということを書きました。

しかし、

その「ゆらぎ」は、「ルカ」のように秩序を作る側だけのものではないのではないか

ということを思ったのです。

ではどんな人当てはまるのか?

それは、

弱きものにされてしまったもの

ではないかと思ったのです。

弱きものにされてしまったものとは

弱きものにされてしまったものとは一体どんな人のことか?

例えば、学校であれば、いじめにあっている人だとと思います。

いじめにあっている人は、

その人自体に何かがあるわけではないにもかかわらず、

その場の構造、雰囲気などで、勝手に「弱きもの」として位置付けられてしまう

ことがあります。

そして、

社会でも、差別の根底にあるのは、

その人々に何かがあるのではなく、周りの構造によってそのようにされてしまう、

そういうものだと思います。

つまり、

はなから「弱いもの」が存在するのではなく、

「弱いものにされてしまった」

そこを理解しておくことが重要だと思います。

弱いものにされてしまったもののゆらぎとは

では弱きものにされてしまったものから起こるゆらぎとはどのようなものなのか?

それは、

その場に何かしらの変容が起こる

ということです。

学校であれば、その弱きものにされてしまったことで、

周りの多くの人々の心に何かしらの違和感を感じさせることになります

弱いものにされてしまったものを横目に、

どうしたらいいのか?

自分を守るために、見て見ぬ振りをしようか?

何か行動を起こすべきではないか?

良心の呵責に苛まれるものもあらわれる。

このように人々に変容が起こる。

「ルカ」のように秩序を動かす側が起こすゆらぎが、能動的なゆらぎだとすると

弱きもものにされてしまったもののゆらぎは、

決してその人から発信されたものではない構造的にそうさせられてしまった、

受動的なゆらぎです。

受動的なケア

弱きものにされてしまった人は、

意図せずして秩序の歪みを露わにしてしまう存在として、

揺らぎそのものを引き受けているのではないか。

それは本人が望んだ役割ではなく、

その場の構造によって引き受けさせられてしまったものです。

しかし、その存在によって秩序が揺さぶられ、周囲の人々の心に問いが生まえる。

そこにはすでにケアが始まっているとも言える。

私はこのような在り方を、「受動的なケア」と呼びたいと思います。

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