『竜とそばかすの姫』の小さなケアの物語について考えてみた

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前回前々回に引き続き、今回も『竜とそばかすの姫』からケアについて考えてみたいと思います。

今回は、前回までは、この映画のコアとなる部分から、ケアを見てきました。

このケア(主には鈴(ベル)のケア)、仮に「大きなケアの物語」をしたときに、

「大きなケア物語」の土台には、「小さなケアの物語」がたくさん存在している

と感じました。

それについて具体的に見てみようと思います。

しのぶくん(久武 忍)のケア

 久武 忍は、鈴の幼馴染です。

鈴が小学校の時に、お母さんを亡くして泣いてばかりの鈴に対して、

しのぶくんは「守ってやる」という。

時が経ち、高校生になり、しのぶくんは学校の女子から絶大な人気を得ています。

だけど、彼はそのようなことは関係なく、あの時の言葉通り、鈴の様子を気にかけ、

孤独しないように気にかけてくれる存在です。

ここに、鈴に対するしのぶくんのケアが見れます。

大切なものを失った鈴、そこに寄り添うという形で、彼女の声を聞いてあげている。

決して、彼女を元気づけてけようとか、無理やり何かをさせようとか、

そうした他者を変えようとすることなく、彼女が孤独に沈みきらないように、

そばにいて彼女を見ている。

こうした、一見すると、「にもかかわらず」という逆説的な大きな行動は見られません。

しかし、細かく考えていくと、

これらの行為は、自分にとって何かが起こるわけではないけれども、

自分の時間を差し出すという行動です。

その行動こそ、「逆説的」であり、近内悠太的視点のケアではないかと思います。

ひろちゃん(別役弘香)のケア

鈴の親友であり、仮想現実Uに誘った人物。

そして、仮想空間Uの鈴(ベル)の力をしっかりと発揮させるプロデューサー

としての役割をしている友人です。

彼女は、現実とは別の世界に誘い、場を提供することをした。

そこで、鈴が大切な歌を取り戻しつつある中、

そこに共に伴走したのがひろちゃんでした。

ひろちゃんの提案や存在が、もちろん現実世界でも、鈴にとって大きな存在であったでしょう。

彼女自身は、彼女が楽しいからしているのだろうという部分も見られる、しかしそれだけではなく

鈴(ベル)だからこそ、自然と行っているというのが伝わってきます。

決して、押し付けがましくない、自然体なひろちゃんのあり方だからこそ、

鈴は救われたのではないか。そう考えると、ひろちゃんの行為も、鈴の変化を支えた「ケア」

であると考えます。

コーラスの人々のケア

コーラスの人々は、鈴の大切な歌を歌える場所に共にいた存在です。

彼女らにとっては、何か大きなことをしていたわけではないかもしれない。

ただただ「一緒に歌おう」という存在でいた。

何かを求められるわけではなく、純粋に歌でつながる関係。

こうした関係性もケアの一つであると考えられます。

お父さんのケア

お父さんは、お母さんが亡くなってから、鈴と距離ができてしまい会話も

なかなか続かないような状況です。

ですが、よく「鰹のたたきを食べるか」と鈴に聞きます。

鈴はそれに対し、なんとも言えな返事をする。

にもかかわらず、お父さんはその言葉を発する。この不器用さの中に、

鈴を気にする様子が見られます。

多くのことを聞かずに、彼女を見守るということ。

冷たくされても、その冷たくされたことをただ受け止めるということ。

あえて、語らせようとも、変えようともしない、そうした

「静」的なケア

というものを感じさせてくれます。

小さなケアの物語をまとめると

ここで彼らのケアをまとめてみると

しのぶくん:寄り添うケア

ひろちゃん:場をひらくケア

コーラス:共に在るケア

お父さん:待ち続けるケア

と言えるのだと思います。

以上のように、いろいろなケアのあり方が土台にあり、

そこで鈴は自分自身でもケアを与える側にいる。

こうしたケアの相乗効果が結果的に大きなエネルギーとして動き出す

ということを考えたのです。

つまり、大きなケアの物語=英雄的で目に見える行為としてのケア、だけを中心に据えると、

鈴が竜にケアを行なったという側面だけを拾うことになります。

そうすると、大きな行動を起こすことが、ケアであるように、

もしくは賞賛されるように見えるかもしれません。

しかしながら、そこに小さなケアの物語があって、それらの声に耳を傾けることで、

その人々の目立たないけれども、支えている人々を知ることができる、

または、自分自身も大きなことはできなくとも、小さな何かはできるかもしれない

と自己変容できるのではないでしょうか?

この映画は、

「誰かが誰かをケアする」物語ではなく、

「小さなケアの物語がネットワークのようにつながり、誰かの一歩に繋がるケア」の物語

と言えるのではないでしょうか?

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